旧大分空港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:52 UTC 版)
日本国内航空のYS-11 旧大分空港の滑走路(1960年代) 旧大分空港跡地碑(大分市青葉町) 旧大分空港跡地碑裏面 1938年 12月 - 大分川と裏川に囲まれた敷地に大分海軍航空隊基地として、大分市今津留(のちに青葉町)に建設 1944年3月 - 大分海軍航空隊を解隊し大分海軍航空基地となる 1956年5月 - 駐留アメリカ軍から返還される 1957年3月10日 - 第二種空港として供用開始(滑走路長1,080m)。極東航空株式会社による大阪-大分-宮崎線が開始された。現在の大洲総合運動公園の敷地が滑走路で別大興産スタジアム(新大分球場)の位置がエプロンであった 1964年2月27日 - 富士航空のコンベアCV240(JA5098)が着陸に失敗して墜落、20人死亡(富士航空機墜落事故) 1973年3月 - 公園用地として払い下げを受ける
※この「旧大分空港」の解説は、「大分空港」の解説の一部です。
「旧大分空港」を含む「大分空港」の記事については、「大分空港」の概要を参照ください。
- 旧大分空港のページへのリンク