V-107
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V-107は、バートル社が開発したタンデムローター式・ターボシャフト双発のヘリコプター。アメリカ海兵隊ではCH-46 シーナイト(英: CH-46 Sea Kight)として採用、また川崎航空機がライセンス生産した機体(KV-107)は3自衛隊全てで採用されたほか、輸出にも供され、国内外で民間機として用いられた機体もあった。
注釈
- ^ 本計画が「中型」と分類されたのは、より大型で強力なHLH(Heavy Lift Helicopter)計画を進めていたためであった[8]。なおHLH計画では、本機と同じボーイング・バートル社によってXCH-62が試作され、1975年に一応の完成をみたものの、開発予算の削減に伴って初飛行にも至らなかった[8]。
- ^ バートル社は既に陸軍の要求仕様にあわせて一回り大型化したV-114の開発に着手しており、1958年9月には同機の採用が決定されて、後のCH-47 チヌークとなった[6]。
- ^ アメリカ海軍でもRH-46を検討したものの、海兵隊向けのCH-46の調達が優先されたことから[17]、HSS-2がベース機として採択された[16]。
- ^ 川崎航空機では、V-107掃海ヘリコプターの開発費の回収は12機という予定調達機数に割りかけて行うこととしていたため、この調達打ち切りによって未回収の部分が残った[17]。
- ^ この844号機は2008年公開の角川映画「空へ-救いの翼 RESCUE WINGS-」の冒頭のシーンでその機体番号を含め飛行・離着陸シーンを見ることができ、同映画で主役を演じた高山侑子は同機の退役セレモニーに出席、ラストフライトの際に操縦桿を握っていた浜松救難隊長に花束を贈呈した[3][4]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y Taylor 1971, pp. 262–264.
- ^ a b c d e f g Polmar 2013, p. 445.
- ^ a b c d e “さよならバートル 救難ヘリV-107がラストフライト”. asahi.com. (2009年11月4日)
- ^ a b c d “空自救難ヘリV107バートル最終844号機(浜松救難隊)退役 入間でラストフライト”. 朝雲ニュース. (2009年11月12日). オリジナルの2012年7月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e f g h i Johnson 2018, pp. 472–479.
- ^ a b c d e f g h 松崎 2020.
- ^ 巫 2020.
- ^ a b 江畑 1987.
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- ^ a b c d e f g h i j Taylor 1971, pp. 139–140.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Taylor 1983, pp. 150–151.
- ^ a b c d 日本航空宇宙工業会 2003, p. 28.
- ^ a b c d e f g 海上幕僚監部 1980, ch.7 §4.
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- ^ a b c d e 義若 2002.
- ^ a b c d 海上幕僚監部 2003, ch.5 §11.
- ^ a b c d 水野 1987.
- ^ a b 荒木 2012.
- ^ 台風17号禍 ふくれる濁流、堤防無力『朝日新聞』1976年(昭和51年)9月13日朝刊、13版、23面
- ^ a b c d e f g 杉山 2007, p. 102.
- ^ a b 加藤 1987.
- ^ a b Lambert 1991, p. 173.
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- ^ 酒井收. “航空歴史館-旧大分空港の関汽エアーラインズ”. インターネット航空雑誌 ヒコーキ雲. 2022年5月4日閲覧。
- ^ 酒井收. “航空歴史館-関汽エアーラインズのベル47”. インターネット航空雑誌 ヒコーキ雲. 2022年5月4日閲覧。
- 1 V-107とは
- 2 V-107の概要
- 3 性能・主要諸元
- 4 登場作品
固有名詞の分類
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