にっぽんぎんこう‐そうさい〔ニツポンギンカウ‐〕【日本銀行総裁】
日本銀行総裁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:01 UTC 版)
白川方明は、日本銀行副総裁就任後直ちに総裁職の代行を務めたが、日銀総裁の空席による総裁代行の立場が長期間続くと、総裁代行という立場では内外の経済問題への対処が難しくなる恐れが指摘された。この間、モルガン・スタンレー証券のロバート・フェルドマン経済研究主席は、日銀総裁人事などの重要案件には「特定の基準に照らして開かれた議論」が望ましいと主張し、中央銀行マン・官僚・財界人ら19人を「マクロ経済学と独立性」「政策決定機関のトップをつとめた経験」「国内外のネットワーク」の3指標で採点した結果を「次期日銀総裁 -- 候補者を比較する」と題する調査報告書として発表した。 最も評価が高かったのは、小泉純一郎内閣で経済財政担当相や金融相などを歴任した竹中平蔵と、日銀出身で金融研究所所長や経済協力開発機構(OECD)の副事務総長を務めた重原久美春で、武藤は「マクロ経済学と独立性」で17位、ほかの二つの基準で18位にとどまり、田波はいずれの基準でも最下位であった。こうして、特に海外では重原久美春の日銀総裁就任を待望する声が高まったが、結局、既に総裁職務代行者であった白川が国会の同意を得て、2008年(平成20年)4月9日に、第30代日銀総裁に就任した。日銀総裁空白期間は20日間であった。2011年(平成23年)1月からは、国際決済銀行(BIS)副議長に就任。日本人のBIS副議長就任は、1939年(昭和14年)に加納久朗横浜正金銀行(現三菱UFJ銀行)ロンドン支店支配人が就任して以来のことで、日銀総裁としては初めてであった。 2013年(平成25年)2月5日、同年4月8日の総裁任期の5年満了を待たずして、3月19日付で日本銀行総裁を辞職することを表明した。
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