新都心の計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:58 UTC 版)
1983年(昭和58年)千葉新産業三角構想策定(基幹プロジェクト)及び幕張新都心事業化計画策定(千葉新産業三角構想)し「幕張新都心構想」「かずさアカデミアパーク構想」「成田国際空港都市構想」の3つを基幹プロジェクトとした「千葉新産業三角構想」が決定。東京と成田の中間に位置する幕張は、業務機能の集積を核とした新都心として構想されるようになり、その開発誘導施設として幕張メッセを位置づける「幕張新都心事業化計画」も同年発表される。 1985年(昭和60年)、幕張メッセ施設基本計画策定、幕張新都心都市施設基本計画策定し、幕張新都心の骨格が決まる。「幕張新都心都市施設基本計画」は、幕張新都心を21世紀にふさわしい都市として整備していくために特に都市施設に着目。交通輸送計画、環境整備計画、都市整備計画について具体案を作成。現在の土地利用の骨格が完成する。 1986年(昭和61年)にはJR東日本「海浜幕張駅」開設(JR京葉線 千葉みなと駅 - 西船橋駅 開業)。1987年(昭和62年)新都心のオアシス、幕張海浜公園の一部(中央地区)がオープンした。海浜公園は総面積72ヘクタール、日比谷公園の約4倍に相当し、7つのブロックに分かれ、海、緑、スポーツ、国際交流などのテーマごとに整備され民間活力を利用した「海のシルクロード・ファンクルズガーデン」の導入が決定している。ほかに日本庭園「見浜園」(1.6ヘクタール)も公園内に完成。1988年(昭和63年)、幕張新都心環境デザインマニュアルを策定し、業務地区の分譲を開始。日本アイ・ビー・エム、セイコー電子工業など業務地区の立地企業選定と分譲が始まる。同時に、進出企業を中心に、幕張新都心まちづくり協議会が発足。
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