新都建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:17 UTC 版)
「ピョートル1世 (ロシア皇帝)」の記事における「新都建設」の解説
1703年イングリア地方を占領すると、ネヴァ川の河口にあるデルタ地帯に港湾都市の建設を開始した。ピョートルはこの都市に、「聖ペトロの街」を意味するサンクトペテルブルクというドイツ語名を付けた。ピョートルはペトロのロシア語形であり、この都市名は事実上、自分の名を冠したものとなった。この都市は白海のアルハンゲリスクに代わる新しい貿易港として、バルト海交易ルートの中継地点の役割を期待されていた。しかしこの一帯は湿地で、地盤が弱く洪水も頻発したため、年間数万人の労働力と大量の石を徴集して大規模な基礎工事に当たらせた。1712年に工事が完了すると、ピョートルはこの町に遷都し、大貴族や裕福な商人・職人を移住させた。1714年には人口34,000人、その10年後には7万人に達し、都としての威容をととのえていった。
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