新劇の時代
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1896年(明治29年)4月25日、東京市神田区(現在の東京都千代田区神田)に生まれる。『現代俳優名鑑』(揚幕社)には、京橋区新湊町(現在の中央区湊)と記されている。 日本統治時代の台湾、台湾総督府(現在の中華民国台北市)で高等小学校を卒業し、東京に戻り、旧制・荏原中学校(現在の日体荏原高等学校)に進学する。同校卒業後、慶應義塾大学理財科(現在の同大学経済学部)に進学するも大学予科の課程で中途退学する。 上山草人の「近代劇協会」から独立した伊庭孝が1913年(大正2年)10月に設立した「新劇社」に参加、東京・有楽座での第1回公演『出発前半時間』(作フランク・ヴェーデキント)、『チョコレート兵隊』(作ジョージ・バーナード・ショー)に出演し、満17歳で新劇の初舞台を踏む。同劇団にはほかに武田正憲、勝見庸太郎、横山運平らがいたが、翌1914年(大正3年)1月、第2回公演を最後に解散した。正邦は「近代劇協会」に移籍し、同年4月、上山草人・山川浦路らによる有楽座での第8回公演、『ノラ』(『人形の家』、作ヘンリック・イプセン)および『ハンネレの昇天(英語版)』(作ゲアハルト・ハウプトマン)で「舞台指揮」(製作者)として参加している。1915年(大正4年)4月には、上山・伊庭と澤田正二郎による「新劇合同」の赤坂・演伎座での『役者の妻(英語版)』(原作ジョージ・ムーア、脚色伊庭孝)に出演している。その後、伊庭が新たに設立した「歌舞劇協会」に参加するが、1917年(大正6年)には同劇団は解散した。
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