救世軍の教理とは? わかりやすく解説

救世軍の教理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 02:45 UTC 版)

救世軍」の記事における「救世軍の教理」の解説

われらは、旧新約聖書が神の感動によりて与えられたること、また聖書のみが、クリスチャン信仰及び実行に関する、神の法規たることを信ず。 われらは、無限に完全なる独一の神ありて、万物創造者保持者、また統治者にして唯これのみ、宗教的礼拝の真(しん)の対象たることを信ず。 われらは、神の中(なか)に、父、子、聖霊なる三つ人格ありて、本質においては分かつべからざるもの、権能栄光においては同等たることを信ず。 われらは、イエス・キリスト人格中に神性しんせい)と人性じんせい)とが結合していて、彼は正(まさ)しく真(しん)に神にして、また正(まさ)しく真(しん)に人たることを信ず。 われらは、われらの最初父母が、罪なき者として創造されたが、彼らの不従順によりてその純潔と幸福とを失い堕落結果すべての人みな罪人つみびと)となり、全く邪悪になり、またかかる者として当然神の怒り受くべき者なることを信ず。 われらは、主イエス・キリストが、その苦難と死とによりて全世界のために償罪(しょうざい)をしたもうたゆえに、何人なにびと)でも欲する者は救われ得ることを信ず。 われらは、神に対して悔い改めること、われらの主イエス・キリスト信ずること、また聖霊によりて新たに生まれることは、救い必要なりと信ず。 われらは、われらの主イエス・キリスト信ずることにより、恩恵(めぐみ)によりてとされること、また信ずる者はそのうち証(あかし)有することを信ず。 われらは、救いの状態の持続は、キリスト対す信仰服従との持続によることを信ず。 われらは、「全く潔く」されることはすべての信者特権にして、「霊と心と体とを全く守」られて、「われらの主イエス・キリスト来りたもうとき責むべき所なき」に至り得ることを信ず。 われらは、霊魂れいこん)の不滅身体しんたい)の復活世の終わりの総審判正しき者の永遠の幸福、及び悪しき者永遠刑罰信ず

※この「救世軍の教理」の解説は、「救世軍」の解説の一部です。
「救世軍の教理」を含む「救世軍」の記事については、「救世軍」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「救世軍の教理」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「救世軍の教理」の関連用語

1
4% |||||

救世軍の教理のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



救世軍の教理のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの救世軍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS