政権の表舞台へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 02:34 UTC 版)
「ピーター・マンデルソン」の記事における「政権の表舞台へ」の解説
トニー・ブレア首相の腹心として貿易・産業相を務めるが、金銭がらみのスキャンダルで辞任。またこれは、ブラウンのスピン・ドクター・チャーリー・ウェランによるリークであるとされている。その後もモー・モーラムの後を引き継いで北アイルランド大臣(英語版)になるが、インド人のイギリス市民権取得に絡むスキャンダルで再度辞任。 2004年にバローゾ新欧州委員長の下で、ブレア首相に推挙され欧州委員のメンバーになる(通商問題担当)。アメリカに槍玉にあげられたエアバスの補助金問題に取り組むほか、ドーハ・ラウンドの進展にも意欲的。欧州連合の農業関税の削減率を途上国提案である54%に近づけると主張(日本とスイスは反対している)。 2008年10月に不人気のブラウン首相に呼び戻され、民間企業・規制改革担当相になって金融危機で落ち込むイギリスの経済の再生に取り組む。同時に一代貴族として貴族院議員になる(イギリスでは下院議員か貴族院議員でないと閣僚になれないため)。 2009年3月6日、ヒースロー空港の拡張工事に反対する団体の女性から、緑色のカスタードを投げつけられる事件が発生。マンデルソンは後のテレビ出演で「彼女は緑色のスープのようなものを私の顔に浴びせようと必死で、何に抗議しているのか、私に言うことを忘れてしまったようだ。ともかく、ペンキじゃなくて助かった。こうして無事でいられたからね」と一蹴。ブラウン首相も、「彼がグリーン(環境保護主義者)かどうか疑う声もあるようだが、これではっきりした。彼はグリーンだ」とジョークで擁護した。 2009年6月5日の内閣改造で副首相に相当する「筆頭国務大臣」に任命され、同時に枢密院議長、新設のビジネス・イノベーション・技能大臣(ビジネス・企業・規制改革省とイノベーション・大学・技能省の合併省庁の主任大臣)に就任した。2010年の総選挙で労働党が敗北し、ブラウン首相が退陣したことに伴い、閣僚ポストを5月11日をもって退任。
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