放送開始に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:34 UTC 版)
「クレヨンしんちゃん (アニメ)」の記事における「放送開始に至るまで」の解説
本作品を制作しているスタッフは元々『エスパー魔美』『チンプイ』『21エモン』といった藤子・F・不二雄原作のアニメ(以下、「藤子アニメ」)の制作チームであった。『21エモン』終了後、今まで藤子アニメを制作していたシンエイ動画の放送枠が木曜19時30分枠から月曜19時枠に移動した。当初は『21エモン』の後番組も藤子アニメが制作される予定だったが、当時テレビ東京が月曜19時に小学館の刊行漫画を原作とした『炎の闘球児 ドッジ弾平』を放送していた。藤子・F・不二雄の作品の多くは小学館から発行されており、放送枠の裏表が同一出版社の漫画原作のアニメをぶつけるのは難しいという判断から、藤子アニメ以外の作品を放送することになった。 その後1991年末に行われた旭通信社(現:ADKホールディングス、及びADKエモーションズ)のラジオテレビ企画部の会議にて、当時旭通信社のプロデューサーだった堀内孝が「青年誌でやっている『クレヨンしんちゃん』というマンガが面白くなるような気がする」と発言したのがきっかけで、旭通信社が『クレヨンしんちゃん』のアニメ化を企画。それをテレビ朝日編成局編成部長の高橋浩とシンエイ動画に持ち込み、1992年1月13日にテレビアニメ化が決定した。本来は別に存在した本命の企画を引き立てるための「かませ犬」としての企画であった。 制作が決定した時点で放送開始までの期間は3ヶ月足らずであり、初代監督である本郷みつるの方針でなるべく作画枚数を掛けず、漫画的なレイアウトを作ることで省力化を図った。その後、番組が軌道に乗るにつれ、アニメーターの個性が発揮されるようになり、視聴率も上向いたことで作画枚数の制限も緩和された。 当番組は、放送2回目以降のテレビ欄では『アニメ・嵐を呼ぶ園児クレヨンしんちゃん』と表記されていた。この「嵐を呼ぶ」という決まり文句は、初回視聴率の低迷を受けて、当時のプロデューサーである太田賢司らが新聞の表記を目立たせるために急遽捻り出されたものである。2022年には放送30周年を迎えた。
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