揖斐川電気への合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 16:59 UTC 版)
「養老鉄道養老線」の記事における「揖斐川電気への合併」の解説
1922年(大正11年)6月に経費削減のため揖斐川電気へ合併し揖斐川電気鉄道部となった。この時期揖斐川電気は不況の影響で業績不振であり経営再建中であった。それでも立川は養老鉄道の電化に注力することとした。そして1923年(大正12年)4月に全線電化し、翌5月に機関車2両、客車26両、貨車26両で電気運転を開始した。この電化開業により、鉄道利用者数、貨物輸送量ともに大幅に増加した。なお、1922年9月に四日市 - 宇治山田間延長敷設を出願したが却下されている。 1925年(大正14年)12月に鉄道事業の推進役であった立川が死亡した。立川なき揖斐川電気は電化による投資が負担となっており経営方針は転換されていく。1926年(大正15年)9月22日やっと取得した桑名-四日市間の鉄道敷設権が伊勢電気鉄道に譲渡された。実は伊勢電気鉄道(伊勢鉄道)は同区間の路線出願を却下されておりこの路線の譲渡を希望していたからであった。
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