抗争への発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 13:19 UTC 版)
親組織から子組織に対して、又は組織間相互において破門ないし絶縁の処分が行われることは、ヤクザの世界においては一種の宣戦布告であり、そのまま抗争へと至ることが多い。 実際に起こった例として、1984年(昭和59年)から1989年(平成元年)まで続いた山口組と一和会の抗争(山一抗争)は、山口組総本部が一和会に対して出した義絶状と呼ばれる文書に端を発する。 詳細は「山一抗争#山一抗争」、「山口組四代目跡目問題#竹中四代目へ」、および「宅見組#山一抗争」を参照 また、山一抗争の終結直後に起こった五代目山口組総本部と竹中組の抗争(山竹抗争)は、総本部が竹中組組長ら4人について幹部一同の名義で「今後五代目山口組とは何ら関係なし」とする事実上破門の義理回状を出したことがきっかけとなっている。 詳細は「山竹抗争#山竹抗争勃発まで」を参照 近年では、六代目山口組総本部から分裂した初代神戸山口組に対して総本部が、また神戸山口組からさらに分裂した任侠山口組に対して総本部と神戸山口組が、それぞれ参加した組や幹部らを絶縁や破門などとする措置をとっている。 詳細は「山健組#山口組離脱・神戸山口組結成」、「任侠山口組#来歴」、および「入江禎#神戸山口組」を参照
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