投信ピラミッド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 02:06 UTC 版)
「ゴールドマン・サックス」の記事における「投信ピラミッド」の解説
1920年代末という世界恐慌直前期に、ゴールドマン・サックスは典型となる投信ピラミッド(シャドー・バンキング・システム)の構築に大きな役割を果した。セントラル(Central States Electric Corporation)と共同出資で子会社GSTC(Goldman Sachs Trading Corporation)を設立した。セントラルは1912年、アメリカ投信を草分けるハリソン・ウィリアムズ(Harrison Williams)が仕掛け人となって設立された。彼はギャランティ(Guaranty Trust, 現JPモルガン)から貸付を受けて、オハイオ州で活動するクリーブランド電灯会社の発行する普通株残高の6割ほどを572万4000ドルで買った。ウィリアムズはク電株をそっくりセントラルに引渡し、代わりにセントラル証券を受け取った。1922年、セントラルは社債償還のためにク電株を現金化し、これに銀行借入金をあわせてノース・アメリカン(North American Edison Company)の普通株を買った。GSTCを核に膨れたウィリアムズの投信ピラミッドが別途資金を調達し、購入は1929年まで継続した。ノース・アメリカンの収益と株価がセントラルの経営を左右するほどの資産構成となった。資本充実の原則などなく堂々と系列内の投信間で株式の持ち合いをし、巨大な公共事業を実態の伴わない資金で掌握してしまい、また株価操作用の資金プールを使わずして株価を上昇させたのである。ノース・アメリカンは1923年から定期的に10%の普通株式配当を行った。株式配当額は、ノース・アメリカン傘下の公益事業子会社が現実に生んだ収益を凌駕するようになった。このファンダメンタルを無視したピラミッドは、エジソン系のインサル帝国やエバスコと連結していた。
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