戦闘の美学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 17:06 UTC 版)
「エルンスト・フォン・ザロモン」の記事における「戦闘の美学」の解説
バルトの土地で赤軍と戦ったとはいえ、義勇軍はボルシェヴィストに憎悪や敵愾心をもっていたわけではない。彼らは憎悪するどころか、時にはボルシェヴィストに共感すら覚えた。彼らを共産主義者と区別するものは後者のインターナショナリズムだった。しかし、彼らは、墓穴が復活の前提であるという見方においては共産主義者と一致していた。左翼的右翼人として、ザロモンもしばしば共産主義者に賛辞を送るのにやぶさかではない。 「 共産主義者の態度は魅力的だった。彼らの周辺には地下納骨堂の雰囲気があった。 」 こうして後にザロモンは、対フランス軍レジスタンス運動の折にオットーと名のる共産主義者の突撃隊の隊長と親しくなったり、刑務所で「インターナショナル」を声高々に歌う共産主義者に対して、看守が飛んでくるまで「エアハルト旅団の歌」を負けじと大声で歌って張り合いながら不思議に心が通いあうものを感じたり、また、1933年2月27日の国会炎上のさいには、共産主義者に罪を被せたナチスの卑劣なやり方に憤慨して共産主義者達のたまり場に行き、彼らへの協力を申し出て、自分の電話と住所を教える行動さえとるザロモンであった。 敵に対する憎悪を知らぬ戦闘そのものの美学に酔う義勇軍の闘争は、闘争の意味を問わぬ闘争、ユンガーにみられた行動の意味を問わぬ「決断主義」からくるものである。
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