吝かではない
読み方:やぶさかではない
吝かではないとは、物事に対して惜しみがない、気前が良い、または惜しげもなく行動することを表す表現である。この言葉は、主に人の性格や態度に対して使われることが多い。吝かではない人物は、お金や時間、労力などを惜しまず、他人に対して寛大であったり、物事に対して献身的であったりすることが特徴である。
また、吝かではないという表現は、物事に対する取り組み方や考え方にも使われることがある。例えば、ある人が仕事やプロジェクトに対して吝かではないと言われる場合、その人は努力や時間を惜しまず、全力で取り組む姿勢を持っていることを意味する。
吝かではないという言葉は、古語「吝か」という言葉に「ではない」という否定の形を加えたものである。「吝か」は、もともとは物事に対して惜しむ、ケチである、といった意味を持つ言葉であるため、吝かではないとはその反対の意味を持つ。
この表現は、日本語において広く使われており、文学作品や日常会話、ビジネスシーンなど様々な場面で用いられる。吝かではないと評される人物や物事は、一般的に好意的な評価を受けることが多い。
吝かではないとは、物事に対して惜しみがない、気前が良い、または惜しげもなく行動することを表す表現である。この言葉は、主に人の性格や態度に対して使われることが多い。吝かではない人物は、お金や時間、労力などを惜しまず、他人に対して寛大であったり、物事に対して献身的であったりすることが特徴である。
また、吝かではないという表現は、物事に対する取り組み方や考え方にも使われることがある。例えば、ある人が仕事やプロジェクトに対して吝かではないと言われる場合、その人は努力や時間を惜しまず、全力で取り組む姿勢を持っていることを意味する。
吝かではないという言葉は、古語「吝か」という言葉に「ではない」という否定の形を加えたものである。「吝か」は、もともとは物事に対して惜しむ、ケチである、といった意味を持つ言葉であるため、吝かではないとはその反対の意味を持つ。
この表現は、日本語において広く使われており、文学作品や日常会話、ビジネスシーンなど様々な場面で用いられる。吝かではないと評される人物や物事は、一般的に好意的な評価を受けることが多い。
やぶさかではない
「やぶさかではない」とは、「仕方なく行動を起こす」という誤った解釈が広がっているが本来は「進んで行動を起こす」というポジティブな意味を持つ表現。
正確には「やぶさかではない」は、「喜んで~をする」という状況で使う、積極的な表現だった。ただ、「やぶさかではない」をやや遠回しな表現で使う場面も増えてきた。誰かから褒められたとき、すぐ受け入れるのは傲慢に見えやすい。そこで、謙遜のニュアンスを込めて「やぶさかではない」と返すことがある。あるいは、何らかの頼みごとをされたとして、二つ返事で引き受けるのがためらわれる場合にあえて「やぶさかではない」という言い方もする。「やぶさかではない」は、日常生活で使うことは珍しい。やや文語的な表現であり、小説や随筆などに用いられてきた。ただし、まれにビジネスシーンでも使う場合もある。
「やぶさか」は漢字で「吝か」と書く。なお、「やぶさかではない」の敬語は「やぶさかではありません」か「やぶさかではございません」となる。「やぶさかではないです」も誤用ではないものの、やや雑な表現だといえる。ビジネスシーンでは丁寧に「やぶさかではございません」と伝えるのが望ましい。
「やぶさかではない」と混同しやすい表現に「まんざらでもない」がある。いずれも、積極的ではない肯定の言葉として知られてきた。ただし、「やぶさかではない」は「~するのが嫌ではない」という、行動の意思についてのフレーズである。それに対し、「まんざらでもない」は「~を認めないわけではない」と、誰かの評価や意見をどう受け止めるかについてのフレーズである。そのため、「やぶさかではない」と「まんざらでもない」では、使用されるシチュエーションが微妙に違う。
昔は、誰かが物惜しみをする様子について、「やぶさかなり」といった表現がなされていた。ただし、時代とともに打消しの形の「やぶさかでない」のほうが一般的になっていった。現代において、「やぶさかだ」「やぶさかである」といった表現はほとんどされていない。日本としては間違いでないものの、通じにくい言い回しになっている。「やぶさかではない」の形が圧倒的に浸透しているといえるだろう。
「やぶさかではない」の敬語が「やぶさかではございません」であり、漢字を用いると「吝かではございません」になる。「吝」という漢字は常用外なので、現代人にはあまりなじみがない。「吝かではございません」と書いても伝わりにくいので、ほとんどの場合は「やぶさか」と表記されてきた。「吝」は音読みで「りん」と読み、「ケチなさま」「物惜しむこと」を表す。また、送り仮名をつけて「吝い(しわい)」とも読む。これは「けちである」「しみったれている」という意味だ。
「りん」も「しわ(い)」も現代ではあまり登場しない言葉だ。実質上、古典の中だけの漢字になっている。一方で、文学的な表現をしたいときにはあえて「吝かではございません」という書き方をすることもある。
「やぶさかではないが」とは、「やぶさかではない」の後に文章を続ける際の形の一種だ。「が」とは逆説の助詞なので、多くの場合、否定的な内容が続くことになる。例を挙げるなら、「その案件を受けるのはやぶさかではないが、なにしろ私は忙しいのです」といった文章になるだろう。「やぶさかではないが」はビジネスシーンで使われることのある表現である。日本のビジネスシーンでは特に、直接的な否定、拒絶をする機会が少ない。なぜなら、あまりにもはっきり相手を否定してしまうと、人間関係に支障をきたすからだ。そのため、日本語ではクッション言葉や前置きのフレーズが増えていった。「やぶさかではないが」もそのひとつである。
「やぶさかではないが」はビジネスにおける交渉術でもある。条件を交渉するとき、簡単に受け入れてしまうと相手に主導権を渡しかねない。また、よりよい条件を引き出しにくくなる。ただし、露骨に拒絶してしまうと案件そのものが破談になってしまうだろう。そこで、まずは「やぶさかではないが」と言って、拒絶はしていない意思を見せつける。そのうえで「もっと条件をお話ししたい」「他社も検討したい」などとつなげ、交渉に入る。相手と対等以上の立場を保ちながら、交渉をする方法だといえるだろう。そのかわり、「やぶさかではない」というまわりくどい表現を嫌う相手もいるので、自分の立場が下だとなかなか使いにくい言い回しでもある。
・私どもといたしましては、御社と一緒にお仕事できるのはやぶさかではございません。業界トップクラスの技術力を間近で勉強させていただきます。引き続き、よろしくお願いいたします。
・フォワードからディフェンダーに転向させられた瞬間は正直、嫌だったよ。でも、今はこのポジションでプレーしていてやぶさかではないね。結局はサッカーであることに変わりはない。試合に出られるなら満足さ。
・どういうわけだろう。兄さんは父の葬儀に出る話に、やぶさかではなかったはずなのに。確かに、あの2人はとても仲が悪かった。しかし、親子じゃないか。こんなときにまで昔を引きずらなくてもいいだろう。
・新年会の会場候補を見せてもらったよ。やぶさかではないが、ほかの場所も見てみたいな。部長たちはグルメだから、念入りに選ばないとね。つまらないことで怒られたくはないし。
・本気で、あなたと一緒にいて、彼女がやぶさかではないと思っていたのですか。男の人に強く言い寄られて、恐怖を感じなかったわけがないでしょう。断れないのは受け入れることを意味しません。それがどうして分からないのですか。
・手術するのはやぶさかではありませんが、私よりもふさわしい人はいるはずです。よろしければ、紹介状を書きますよ。それとも、この病院で手術を受けたい理由でもあるのですか。
ここからは、「やぶさかではない」の誤用を紹介していく。
・彼に褒められて、少年はやぶさかではなかった。むしろ、嬉しくて飛び上がりそうだった。
ここでの意味は「嬉しくないわけではない」なので、「やぶさかではない」はあてはまらない。「まんざらでもない」が正しい。
・答えを教えるのはやぶさかではない。自分で解いてみたどうなのだ。
「やぶさかではない」が「面倒だ」「物惜しみしたい」という意味で使われている。本来の意味から外れた誤用だ。
・僕だけが働くのはやぶさかだ。ほかのみんなは仕事をさぼっているじゃないか。
完全な誤用ではないものの、「やぶさかだ」という肯定の形で使われることは非常に珍しい。意味が伝わりにくくなる可能性があるだろう。「嫌だ」「物惜しく思える」などの表現にすると、より多くの人に理解してもらいやすい。
「やぶさかではない」の意味とは
「やぶさかではない」とは、「嫌ではない」「やる気がないわけではない」という意味だ。正確には「やぶさかではない」は、「喜んで~をする」という状況で使う、積極的な表現だった。ただ、「やぶさかではない」をやや遠回しな表現で使う場面も増えてきた。誰かから褒められたとき、すぐ受け入れるのは傲慢に見えやすい。そこで、謙遜のニュアンスを込めて「やぶさかではない」と返すことがある。あるいは、何らかの頼みごとをされたとして、二つ返事で引き受けるのがためらわれる場合にあえて「やぶさかではない」という言い方もする。「やぶさかではない」は、日常生活で使うことは珍しい。やや文語的な表現であり、小説や随筆などに用いられてきた。ただし、まれにビジネスシーンでも使う場合もある。
「やぶさか」は漢字で「吝か」と書く。なお、「やぶさかではない」の敬語は「やぶさかではありません」か「やぶさかではございません」となる。「やぶさかではないです」も誤用ではないものの、やや雑な表現だといえる。ビジネスシーンでは丁寧に「やぶさかではございません」と伝えるのが望ましい。
「やぶさかではない」と混同しやすい表現に「まんざらでもない」がある。いずれも、積極的ではない肯定の言葉として知られてきた。ただし、「やぶさかではない」は「~するのが嫌ではない」という、行動の意思についてのフレーズである。それに対し、「まんざらでもない」は「~を認めないわけではない」と、誰かの評価や意見をどう受け止めるかについてのフレーズである。そのため、「やぶさかではない」と「まんざらでもない」では、使用されるシチュエーションが微妙に違う。
やぶさかとは・「やぶさかではない」の語源
「やぶさかではない」の語源は平安時代にまでさかのぼる。当時は、「やふさし」や「やふさがる」という言葉が一般的に使われていた。「やふさし」とは「ケチ」「守銭奴」という意味である。そてい、「やふさがる」とは「物惜しみする」「もったいないと感じる」という意味だった。当時は「やぶさか」という言葉はなく、「やふさし」か「やふさがる」のいずれかが使われていた。やがて鎌倉時代になると、2つの言葉があわさって「やふさか」「やっさか」などの形になる。そして、最終的に「やぶさか」という言葉が生まれた。それ自体の意味は、「ケチ」「物惜しみ」である。昔は、誰かが物惜しみをする様子について、「やぶさかなり」といった表現がなされていた。ただし、時代とともに打消しの形の「やぶさかでない」のほうが一般的になっていった。現代において、「やぶさかだ」「やぶさかである」といった表現はほとんどされていない。日本としては間違いでないものの、通じにくい言い回しになっている。「やぶさかではない」の形が圧倒的に浸透しているといえるだろう。
文章や会話でどう使う?「やぶさかではない」の熟語・言い回し
吝かではございませんとは
「やぶさかではない」の敬語が「やぶさかではございません」であり、漢字を用いると「吝かではございません」になる。「吝」という漢字は常用外なので、現代人にはあまりなじみがない。「吝かではございません」と書いても伝わりにくいので、ほとんどの場合は「やぶさか」と表記されてきた。「吝」は音読みで「りん」と読み、「ケチなさま」「物惜しむこと」を表す。また、送り仮名をつけて「吝い(しわい)」とも読む。これは「けちである」「しみったれている」という意味だ。
「りん」も「しわ(い)」も現代ではあまり登場しない言葉だ。実質上、古典の中だけの漢字になっている。一方で、文学的な表現をしたいときにはあえて「吝かではございません」という書き方をすることもある。
やぶさかではないがとは
「やぶさかではないが」とは、「やぶさかではない」の後に文章を続ける際の形の一種だ。「が」とは逆説の助詞なので、多くの場合、否定的な内容が続くことになる。例を挙げるなら、「その案件を受けるのはやぶさかではないが、なにしろ私は忙しいのです」といった文章になるだろう。「やぶさかではないが」はビジネスシーンで使われることのある表現である。日本のビジネスシーンでは特に、直接的な否定、拒絶をする機会が少ない。なぜなら、あまりにもはっきり相手を否定してしまうと、人間関係に支障をきたすからだ。そのため、日本語ではクッション言葉や前置きのフレーズが増えていった。「やぶさかではないが」もそのひとつである。
「やぶさかではないが」はビジネスにおける交渉術でもある。条件を交渉するとき、簡単に受け入れてしまうと相手に主導権を渡しかねない。また、よりよい条件を引き出しにくくなる。ただし、露骨に拒絶してしまうと案件そのものが破談になってしまうだろう。そこで、まずは「やぶさかではないが」と言って、拒絶はしていない意思を見せつける。そのうえで「もっと条件をお話ししたい」「他社も検討したい」などとつなげ、交渉に入る。相手と対等以上の立場を保ちながら、交渉をする方法だといえるだろう。そのかわり、「やぶさかではない」というまわりくどい表現を嫌う相手もいるので、自分の立場が下だとなかなか使いにくい言い回しでもある。
「やぶさかではない」の使い方・例文
・新しいデザイン案を見せてもらったよ。工事に取り掛かるのはやぶさかではない。しかし、何かが足りないんだ。私が思うに、クライアントの要求を完全に押さえられているとはいえないんじゃないだろうか。・私どもといたしましては、御社と一緒にお仕事できるのはやぶさかではございません。業界トップクラスの技術力を間近で勉強させていただきます。引き続き、よろしくお願いいたします。
・フォワードからディフェンダーに転向させられた瞬間は正直、嫌だったよ。でも、今はこのポジションでプレーしていてやぶさかではないね。結局はサッカーであることに変わりはない。試合に出られるなら満足さ。
・どういうわけだろう。兄さんは父の葬儀に出る話に、やぶさかではなかったはずなのに。確かに、あの2人はとても仲が悪かった。しかし、親子じゃないか。こんなときにまで昔を引きずらなくてもいいだろう。
・新年会の会場候補を見せてもらったよ。やぶさかではないが、ほかの場所も見てみたいな。部長たちはグルメだから、念入りに選ばないとね。つまらないことで怒られたくはないし。
・本気で、あなたと一緒にいて、彼女がやぶさかではないと思っていたのですか。男の人に強く言い寄られて、恐怖を感じなかったわけがないでしょう。断れないのは受け入れることを意味しません。それがどうして分からないのですか。
・手術するのはやぶさかではありませんが、私よりもふさわしい人はいるはずです。よろしければ、紹介状を書きますよ。それとも、この病院で手術を受けたい理由でもあるのですか。
ここからは、「やぶさかではない」の誤用を紹介していく。
・彼に褒められて、少年はやぶさかではなかった。むしろ、嬉しくて飛び上がりそうだった。
ここでの意味は「嬉しくないわけではない」なので、「やぶさかではない」はあてはまらない。「まんざらでもない」が正しい。
・答えを教えるのはやぶさかではない。自分で解いてみたどうなのだ。
「やぶさかではない」が「面倒だ」「物惜しみしたい」という意味で使われている。本来の意味から外れた誤用だ。
・僕だけが働くのはやぶさかだ。ほかのみんなは仕事をさぼっているじゃないか。
完全な誤用ではないものの、「やぶさかだ」という肯定の形で使われることは非常に珍しい。意味が伝わりにくくなる可能性があるだろう。「嫌だ」「物惜しく思える」などの表現にすると、より多くの人に理解してもらいやすい。
吝かではない
読み方:やぶさかではない
「吝かではない(やぶさかではない)」とは、「やりたくないわけではない」「やってもよい」「どちらかと言えばやりたい」「むしろ喜んでする」という肯定的・積極的な意思表示の意味で用いられる表現である。
基本的には、「やりたい」というおおむね積極的な気持ちを婉曲的に示す言い回しとして用いられる。
漢字の「吝」は、「物惜しみをする」「けち」という意味の字である。「吝嗇」「倹吝」などの熟語がある。
「吝か(やぶさか)」は、「気が進まない」「気乗りしない」「あまりやりたくない」という消極的な・後ろ向きな・ネガティブな気持ちを意味する形容動詞である。
このネガティブな意味の「吝か」を、「吝かではない」と否定形によって表現することで、「いやではない」「やりたくなくはない」という肯定的な表現にしているわけである。
ちなみに、「吝かではない」のような「否定表現によって逆のことを述べる表現法」は、修辞学の分野では「緩叙法」と呼ばれる。たとえば「嫌いではない(→ わりと好きだ)」「悪くない(→ けっこう良い)」「あまり得意でない(→ やや苦手だ)」などのような表現は緩叙法である。もっとも、「醜くはない(→ 普通だ、美しいわけでもない)」のように緩叙法的でない使い方をする場合もある。
「吝かではない(やぶさかではない)」とは、「やりたくないわけではない」「やってもよい」「どちらかと言えばやりたい」「むしろ喜んでする」という肯定的・積極的な意思表示の意味で用いられる表現である。
基本的には、「やりたい」というおおむね積極的な気持ちを婉曲的に示す言い回しとして用いられる。
漢字の「吝」は、「物惜しみをする」「けち」という意味の字である。「吝嗇」「倹吝」などの熟語がある。
「吝か(やぶさか)」は、「気が進まない」「気乗りしない」「あまりやりたくない」という消極的な・後ろ向きな・ネガティブな気持ちを意味する形容動詞である。
このネガティブな意味の「吝か」を、「吝かではない」と否定形によって表現することで、「いやではない」「やりたくなくはない」という肯定的な表現にしているわけである。
ちなみに、「吝かではない」のような「否定表現によって逆のことを述べる表現法」は、修辞学の分野では「緩叙法」と呼ばれる。たとえば「嫌いではない(→ わりと好きだ)」「悪くない(→ けっこう良い)」「あまり得意でない(→ やや苦手だ)」などのような表現は緩叙法である。もっとも、「醜くはない(→ 普通だ、美しいわけでもない)」のように緩叙法的でない使い方をする場合もある。
「やぶさかではない」の例文・使い方・用例・文例
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