戦時標準船の引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:06 UTC 版)
「船体3年、エンジン1年」の考えで建造された船質不良のW型戦時標準船であったが、戦後種々の船質改善工事を重ねつつ十数年間使用されてきた。しかし老朽化とともに維持費は増大し、1959年(昭和34年)9月に出された国鉄内の「連絡船船質調査委員会」の2年間にわたる調査報告でも、“これ以上の長期使用は得策ではない”、とされた。事実上の引退勧告であった。折しも高度成長時代で、青函航路の客貨輸送量の増加は著しく、この増加に対応できる運航効率のよい新型客載車両渡船に置き換えるべき、と判断した国鉄は1962年(昭和37年)11月8日、その第1船建造を浦賀重工へ発注した。1964年(昭和39年)5月10日の第1船津軽丸(2代)就航直前の5月3日、第六青函丸が終航となり、以後1965年(昭和40年)8月5日の第6船羊蹄丸(2代)就航1ヵ月前の7月2日終航の第十二青函丸まで、W型4隻は、津軽丸型当初計画6隻の就航とともに順次引退していった。
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