戦時の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:45 UTC 版)
1942年、イノウエは日本陸軍に通訳として徴用され、香港の深水埗収容所に配属される。ここには香港の戦いにて捕えられたカナダ人捕虜らが収容されていた。ある捕虜は当時のイノウエの様子について、「仲間たちより大きく、非常にハンサムで、晴れやかで、とんでもなく下劣」と回想している。収容所勤務中、イノウエは常軌を逸した残虐性によってその名を知られることとなる。捕虜からは「カムループス・キッド」(Kamloops Kid)あるいは「スラップハッピー」(Slap Happy)の異名で恐れられた。 彼はカナダ人捕虜に対して攻撃的かつ下品な口調で命令し、手当たり次第に捕虜を殴打することもあった。本人の主張によれば、こうした態度は彼がカナダで受けた差別に対する報復であったという。この時期には捕虜に対し彼は自らの幼少期について次のように語っていたという。 「おれがカナダにいた時、ありとあらゆる虐待を受けたよ。連中はおれを"チビの黄色いろくでなし"と呼びやがった」(“When I was in Canada I took all kinds of abuse. ... They called me a "little yellow bastard.")「それで、その"優位性"とやらは今どこにあるんだ、薄汚いクズ野郎が」("Now where is your so-called superiority, you dirty scum?”) 1943年9月にはシンガポールに移り、まもなくして除隊する。1944年3月には日本に移り、親族が経営する輸出入業者で働いた。同年初頭のうちに香港に戻り、現地に駐留する憲兵隊の通訳として再度徴用された。裁判における証言によれば、当時のイノウエはスパイや反逆者の疑いがある者への拷問に熱心だったという。また、元捕虜らの証言によれば、イノウエは少なくとも8人のカナダ人捕虜に対する拷問および彼らの死について責任があるとされた。
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