成化・弘治・正徳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)
宣徳に続く正統、景泰、天順の3代の間は年款銘のある作品がなく、作風の変遷は定かでない。景徳鎮の明代の磁器に再び年款銘が入れられるようになるのは次の成化期からである。成化(1465 - 1487年)、弘治(1488 - 1505年)、正徳(1506 - 1521年)の3代の磁器の特色は小品が多いことである。器種の点では、永楽期に見られたような西アジア起源の器形はほとんど見られなくなり、伝統的な器形が多い。この時代には官窯でも上絵付けの多色磁器が盛んに作られるようになった。中でも世界的に声価の高いのが成化期の豆彩(とうさい)と呼ばれる色絵磁器である。豆彩は、原理的には五彩と同じで、釉下彩の青花と上絵付けの色絵を併用したものである。青花の線描で文様の輪郭線を描き、透明釉を掛けていったん焼成した後、赤、黄、緑、紫の上絵具で彩色して再度焼き付けたもので、特徴的な緑の絵具の色が豆の色に似ることから豆彩と称するという。また、この技法は「闘彩」とも書き、「闘」は各色が競い合うという意味であるという。伝世の豆彩の器は杯、小壺、馬上杯などの小品に限られ、文様は人物、植物、動物などを表すが、特に親子の鶏を描いた杯が著名で、欧米では「チキン・カップ」と称され、成化豆彩の代名詞となっている。豆彩は、透明感のある色彩、上品な図柄とともに、作品数の少ない点でも愛陶家垂涎のものとなっている。景徳鎮での考古学的発掘により、膨大な量の成化豆彩の陶片が発見され、この時期の豆彩は厳しく作品を選別し、少しでも欠点のある作品は容赦なく破棄していたことがわかった。なお、窯址出土の豆彩には、伝世品とは作調の違った、濃厚な色彩のものもある。成化期には宣徳期に続いて黄地青花が作られ、弘治以降は白磁緑彩、黄地緑彩なども作られている。成化期には青花の作品もあり、薄手に整形された青花の碗は欧米でパレス・ボウルと呼ばれて珍重されている。
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