志村けんのだいじょうぶだぁ
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『志村けんのだいじょうぶだぁ』(しむらけんのだいじょうぶだぁ)は、フジテレビ系列で1987年(昭和62年)11月16日から1993年(平成5年)9月27日まで毎週月曜日 20:00 - 20:54(JST)に放送されていたお笑いバラエティ番組。志村けんの冠番組であり、2007年(平成19年)から2020年(令和2年)まで単発スペシャル番組(後述)として年3,4回放送されていた。
注釈
- ^ 2009年以降のスペシャル番組はステレオ放送
- ^ 同番組で志村と共演していた加藤茶も、後述のとおり本番組にてゲスト出演を果たしている。
- ^ 前売4500円で当日は当日5000円、昼は午後2時開演で夜の部は6時半開演だった(22日は夜のみで28日は昼のみ)
- ^ 前売りは5000円で当日は5500円、昼の部は1時30分開演で夜の部は6時30分開演だった(26日は夜の部のみ)
- ^ 前売りA席が5500円でB席が3000円、当日A席が5500円でB席が3500円、昼の部は1時30分開演で夜の部は6時30分開演だった(5日は夜の部のみ)
- ^ 田代と桑野がともにラッツ&スターの一員であることから、コントなどで同グループネタが出てくることがあった。なお、後述のとおり、田代はその後不祥事により出演していない。
- ^ 当初はえちごの次だったがのちに桑野の次に91年以降はメイン三人に次いでクレジット
- ^ a b 渡辺も我妻も、ともに元おニャン子クラブのメンバーだった。またこのほか、同メンバーだった国生さゆり・生稲晃子・渡辺満里奈も、後述のとおりゲスト出演を果たしている。
- ^ 放送200回時に第一回として紹介されたのはなぜか88年1月4日のものだった。
- ^ なお、「手と手を…」の部分を「合わせない!」とフェイントをかけるパターンや、この部分のネタを視聴者から募集して披露し、良い作品が次週以降使われることがある。なお、「手と手を横に合わせてティモテー、ティモテティモテー」(日本リーバ(現:ユニリーバ・ジャパン)「ティモテ」CM使用曲)というものもあった。
- ^ 志村自身が自著(「変なおじさん」(日経BP社、1998年)86ページ)やテレビ番組で、このコントのモデルは新宿の24時間営業の居酒屋「ひとみ」にいたお婆さん(1999年に死去している)であると語っている。また、数あるコントキャラクターの中で、このひとみばあさんが志村の一番のお気に入りであるとも語っている(著書「変なおじさん 完全版」(新潮文庫、2002年)102ページ)。
- ^ ひとみばあさんは近年[いつ?]になって『志村けんのバカ殿様』にも登場している。
- ^ テレビアニメ『おじゃる丸』のオープニングテーマ。
- ^ 1回は田代が扮するならず者が、女性に絡んでいた所に空き缶が投げ付けられ、イエイエおじさんが疑われたものの、「イエイエ」と以外に返答しないうちに、ならず者が不気味がり後退りして、最終的に水溜りに転落するというもの。もう1回は、客席から挙手した1名を指名してクイズを出題するイベントで、伸びをしたイエイエおじさんが挙手をしたと間違われ指名され、クイズに回答した結果、クイズの答えが全て「い」と「え」だけの発音で構成された単語であったため、全問正解するというもの。
- ^ なお、1989年10月9日に放送された2時間スペシャルの際、関西テレビでは後述の通り1時間23分に短縮して放送されたため、ゲストの歌に続かずそこで番組が終了となってしまった。
- ^ バカ殿様の放送分でも和風にアレンジして披露された。
- ^ なお、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の「おもしろビデオコーナー」にも、このコーナーに影響されたと思われるような遊びをする幼い姉妹の映像が投稿されていた。同番組の1990年3月31日放送でこの映像が紹介された直後に、志村は相方の加藤茶から「お前が流行らせたんだろう」とツッコみを受けていた。
- ^ 田代はこのキャラクターで『志村けんのバカ殿様』のエンディングに登場したこともある。
- ^ 後に2008年放送のスペシャルでも志村・優香のカップルでリメイクしたほか、番組終了後に志村が出演した『集まれ!ナンデモ笑学校』などのコント番組でも、志村以外の演者を変えて度々リメイクされている。
- ^ 後に『志村けんのバカ殿様』で行われるバカ殿と優香姫(バカ姫)のコントは、このお花坊コントがほぼ踏襲されている。2007年放送のスペシャルでは、貧乏という設定を追加してリメイクされている(内容は『貧乏母子』とほぼ同じ)。
- ^ 2009年現在、ケーズデンキのコマーシャルにてバカ殿に扮した志村のオチのギャグとして使われている。
- ^ 「キャベツばかりをかじってた」のタイミングで食べる為、最初は「雨が続くと〜」の部分で多少間隔が開くが、途中からひたすら「キャベツばかりを〜」が連続再生されるため、休む間も無くキャベツを貪ることになる。
- ^ コント(conte)とはフランス語で「短い物語・童話・寸劇」を意味する言葉が由来。そのため、お笑い作品を「コント」と表記するのは厳密には間違いである。
- ^ 尚、このバージョンはイザワオフィスが2020年5月16日にYouTubeで公開した当番組の動画の最後を飾っている。
- ^ なお、たこ焼きでのコントは芦田愛菜が演じている。
- ^ 店によって性格及び口調は異なる。
- ^ なお、チョコレートでのコントでは優香が志村にチョコレートを渡し、志村が号泣した直後にチョコを食べた。ラーメンでのコントではコショウを蓋が緩く、かけ過ぎた(ひとみばあさんの蕎麦屋の七味も同じ)。
- ^ なお、綿菓子とおみくじと神社の鈴でのコントでは照明は落ちていないが、変わりに神社が崩れてしまうオチになっている。
- ^ この音楽は情報デスクTodayでもCM前アイキャッチに使われたことがある。
- ^ 例えば、志村「柴田恭兵さんです」→田代「関係ないね!」など。
- ^ なお、このクイズの際に〝まさし〟という響きに似た方言が出てきたことがあり、それが虻の意味と知って田代がショックを受け憤慨し、以後しばらくの間〝アブ=田代〟という構図で弄られていた。
- ^ なお桑野は、大抵他のメンバーと比べて突飛な歌を歌っていることが多かった
- ^ なお田代が回答者として参加している場合には、「みんな甘いですね」と他の回答者を挑発しておきながら自分はもっとしょうもない論理を展開する、桑野の場合は質問内容に若干からんでいるかのようなボケを連発して志村を怒らせる、などお決まりのパターンがあった。
- ^ かつて志村も解答者として出演していた『TVプレイバック』のババ抜きショックでも使われていたジングルを10秒にしたもの。
- ^ 歌当てクイズでは、出題側の桑野や合唱団も一緒になってダンスをしていた
- ^ 主にココ山岡のダイヤモンドなど。
- ^ ただし、1998年12月19日に放送された『加ト・けん・たけしの世紀末スペシャル!!』等で、だいじょうぶだぁ時代のオチの音楽が使われていた。
- ^ 1991年4月開局から
- ^ 現:NST新潟総合テレビ
- ^ 日本テレビ系列とのクロスネット局だった1990年9月までは、本来の放送時間帯が日本テレビ系列の同時ネット枠だった関係で、日曜午後に遅れネットで放送。その後同年10月の日本テレビ系列脱退・フジテレビ系列へのフルネット化により同時ネットとなった。
- ^ 1989年9月までは、テレビ朝日系列とのクロスネット局だった。
- ^ 1991年1月から
- ^ 土曜午後や日曜午前を経て、最終的には月曜夕方に放送。本番組終了直後の1993年10月1日大分朝日放送(OAB)開局に伴い、テレビ朝日系列を脱退。
- ^ 番組開始時点では土曜昼に放送、その後月曜19:00の放送となった。
- ^ 番組開始時点では日曜正午に放送。1989年10月以降は月曜19:00の放送となった。なお本番組放送当時は、本来の放送時間帯は日本テレビ系列の同時ネット枠。1994年3月までは、日本テレビ系列とのクロスネット局。
- ^ 1993年3月打ち切り、ネット打ち切りまではフジテレビ系列。
- ^ 1991年3月打ち切り、レギュラー放送としては1990年3月まで、1990年4月以降、岩手めんこいテレビのサービス放送開始までは不定期放送であった。
- ^ 1990年10月まで
- ^ 遅れネット局でも、このバージョンを放送した局もある。
- ^ 市町村合併などで市町村名が変更になった市町村が出ても、特に訂正は行われなかった。
- ^ 1998年6月 - 2009年3月までは「フジテレビ721」。2010年よりフジテレビONEでも放送された。
- ^ サンデー志村けん劇場枠前半は2009年10月から2010年9月まで、毎日放送(MBS)制作・TBS系列の志村の番組『となりのマエストロ』と放送時間が重なっていた。
- ^ 別項のとおり、主要キャストであった田代まさしが複数回の不祥事を起こしていることにより、テレビ放送の際に田代の登場シーンをカットせざるを得ないためと考察されている[15]。
- ^ 主なボケへの解説字幕はじいさんばあさんコントの「丹頂チック」、「中田ダイマル・ラケット」「放送当時消えた芸能人と呼ばれていた野村義男」、「お仏壇のはせがわのコマーシャル」、「放送当時すでに古いと言われていた御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の事)」など。
- ^ a b ただし実際は『志村けんのだいじょうぶだぁII』で放送された中からの傑作選(再放送)であった。また、「志村運送物語」のゴールデンタイム及び全国ネットでの放送はこれが最初で最後であった。詳細は志村けんのだいじょうぶだぁII#志村運送物語を参照。
- ^ a b 「だんごのしむら屋」のゴールデンタイム及び全国ネットでの放送はこれが最初で最後であった。詳細は志村屋です。#だんごのしむら屋を参照。
- ^ レギュラー放送時代の映像が地上波のゴールデンタイム及び全国ネットで放送されるのは約14年ぶりである。ただしこれは2006年9月の『志村けんのだいじょうぶだぁII』スペシャルで放送されたものと全く同一のものであった。
- ^ なお、同日の20時からは前述のCS「ファミリー劇場」においての当番組(旧作)の再放送があったため、放送日時が重なっていた。
- ^ a b 志村軒は2010年4月14日放送開始であるが、第8回目のスペシャルで放送された内容は完全新作であった。
- ^ 過去にレギュラーだったタカアンドトシ、優香、ハリセンボンはこの回ではゲスト扱い。
- ^ タカアンドトシ、ハリセンボンはゲスト扱い。
- ^ ただし、テレビ大分は日本テレビの番組を同時ネットしていたため非ネットとなり、振替放送も行われなかった。
出典
- ^ 中日新聞1990年2月16日33面
- ^ https://web.archive.org/web/20080516033647/http://www.honda-geki.com/honda.kiroku.html
- ^ https://www.joysound.com/web/search/song/55395
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ モト冬樹が初めて明かした志村けんへの後悔「俺には田代の役割が……」《盟友の死から1カ月》
- ^ 『産経新聞』1993年12月7日付東京夕刊
- ^ 志村けんがひとみおばあちゃんで「わさムーチョ」PR、体調だいじょうぶだぁ ナタリー 2016年9月15日
- ^ 「変なおじさん 完全版」(新潮文庫、2002年)113ページ
- ^ 【エンタがビタミン♪】バカ殿・志村けん、20年ぶりにいしのようこの“お花坊”が復活! 「2人の絡みはプレミアもの!」
- ^ a b 週刊TVガイド 1991年12月13日号、リポート「視聴率競争『志村けん―』はだいじょうぶかぁ?」
- ^ http://db.nkac.or.jp/detail.htm?id=K02-00897-00
- ^ 1998年8月12日スポーツニッポン「志村けん ゴールデン復帰 テレビ東京「集まれ!ナンデモ笑学校」」
- ^ Inc, Natasha. “「志村けんのだいじょうぶだぁ」がDVD-BOXで登場”. お笑いナタリー. 2020年3月30日閲覧。
- ^ “「志村けんのだいじょうぶだぁ」YouTube配信 田代まさしも出演...事務所「葬り去られることに大きな葛藤」”. J-CASTニュース (2020年4月18日). 2020年5月9日閲覧。
- ^ “「志村けんのだいじょぶだぁ」 動画公開のお知らせ( 2020年4月18日)”. izawaoffice.jp. IZAWA OFFICE -イザワオフィス-. 2020年4月18日閲覧。
- ^ “志村けんさんの所属事務所『だいじょぶだぁ』動画をYouTubeで公開 収益は日本赤十字社に寄付”. ORICON NEWS(2020年4月18日). 2020年4月18日閲覧。
- ^ “志村けん「だいじょうぶだぁ」動画配信が一時休止、処理された“過激部分””. asagei.com. アサ芸プラス. 2020年6月11日閲覧。
- ^ 『「志村けんのだいじょうぶだぁ」コンテンツ収益の寄付に関する最終報告』(プレスリリース)株式会社イザワオフィス、2021年5月31日 。2021年7月7日閲覧。
- ^ ドリフが寝台列車で大騒動「志村けんのだいじょうぶだぁSP」明日放送,お笑いナタリー,2017年3月14日
- ^ 志村けんさん追悼特別番組 - フジテレビ
- ^ 加藤茶、志村さんに弔辞 ドリフ愛にじませる「5人が全員集合したら大爆笑させよう」【全文掲載】,ORICON NEWS,2020年4月2日
- ^ 志村けんさん追悼特番 高視聴率21・9%!いしのとの親子コントで瞬間最高27・3% 列島泣き笑い,スポニチアネックス,2020年4月2日
- ^ 志村さんフジ追悼特番、4072万6000人が見た,日刊スポーツ,2020年4月2日
固有名詞の分類
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