御料牧場ゆかりの人物
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「宮内庁下総御料牧場」の記事における「御料牧場ゆかりの人物」の解説
D・W・アプジョーンズ(4)(1830年~?) アメリカ出身の牧羊家、明治政府に殖産興業政策の為に雇用された。1873年(明治6年)に岩倉遣米使節一行がアメリカを訪問した際、来日の交渉を持ち使節の帰国とともに来日したと考えられている。1875年(明治8年)、三里塚に創設された下総牧羊場の綿羊飼育の最高責任者として、また積極的な経営と知識をもって日本の近代綿羊業の基礎をつくり上げた。名前を「如温士(ジョオンズ)」、「如温寿(ジョオンズ)」などと漢字に当てはめる程の親日家だったとされるが、強盗に襲われて右腕に障害が残った。帰国後メキシコにおいて日本人移殖のため、在メキシコ大使館の顧問を務めた。 新山荘輔 5代目の場長。32年間場長を務めた。 ウィキソースに春駒の原文があります。 高村光太郎 1924年(大正13年)4月13日、下総御料牧場を歌った詩「春駒」を朝日新聞に発表。この詩は、現在三里塚記念公園の敷地内に碑文として残されている。 野平省三 種牡馬管理担当から26歳で騎手に転じた。チャペルブラムプトンの担当者であった。騎手顕彰者・野平祐二の父。
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