彫刻部門とは? わかりやすく解説

彫刻部門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 04:14 UTC 版)

ルーヴル美術館」の記事における「彫刻部門」の解説

彫刻部門には、古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術部門属さない1850年以前彫刻収蔵されている。ルーヴル美術館が、いまだルーヴル宮殿として使用されていた時代から彫刻収集開始されていたが、ミケランジェロの『瀕死奴隷』と『抵抗する奴隷』を除いて1824年までは古代彫刻し公開されていなかった。ルーヴル美術館開設当時には100点ほどの彫刻しかなく、ほかの王室コレクション彫刻多くヴェルサイユ宮殿移設されていた。その後彫刻コレクションはほとんど増加することはなかったが、1847年にレオン・ラボルデが彫刻部門の責任者任命されると、コレクションの数は徐々に増えていった。ラボルデは中世彫刻収集する部門設置し、『キルデベルデ1世像』『スタンガの扉』などの彫像彫刻購入していった。彫刻部門は、もともとは工芸部門一部局だったが、フランス美術品コレクション推進していた館長ルイ・クラジョが、1871年自治裁量権与えている。1986年1850年以降彫刻は、新設されオルセー美術館へと移された。「大ルーヴル計画」によって、彫刻部門の収蔵品展示場所が、フランス彫刻展示するリシュリュー翼と、フランス以外彫刻展示するドゥノン翼に分けられた。 ロマネスク様式フランス彫刻には『獅子の穴の中のダニエル』(11世紀)や『オーヴェルニュ聖母』(12世紀)などが所蔵されている。16世紀にはルネサンス抑制表現影響フランス彫刻にも表れ始め、ジャン・グジョン (en:Jean Goujon) の浮彫や、ジェルマン・ピロン (en:Germain Pilon) の『十字架降下』や『キリスト復活』などにその影響を見ることができる。17世紀から18世紀フランス彫刻として、エティエンヌ=モーリス・ファルコネ (en:Étienne Maurice Falconet) の『水浴する女』や、フランソワ・アンギエ (en:François Anguier) の『オベリスク』などがある。新古典様式彫刻には、アントニオ・カノーヴァの『キューピッド口づけ目覚めたプシュケ』(1793年)がある。 『聖マグダラのマリア』(グレゴール・エアハルト作)、1515 - 1520年ごろ 『瀕死奴隷』(ミケランジェロ作)1513 - 1515年アモル接吻プシュケ』(アントニオ・カノーヴァ作)、1793年 ヘラクレス棍棒で弓を刻み出している愛の神アモール(エドム・ブーシャルドン作en:Edmé Bouchardon)、1747 - 1750年

※この「彫刻部門」の解説は、「ルーヴル美術館」の解説の一部です。
「彫刻部門」を含む「ルーヴル美術館」の記事については、「ルーヴル美術館」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「彫刻部門」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「彫刻部門」の関連用語

彫刻部門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



彫刻部門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのルーヴル美術館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS