彗星の発見からローウェル天文台での勤務へ
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「ロバート・バーナム・ジュニア」の記事における「彗星の発見からローウェル天文台での勤務へ」の解説
1957年10月18日午後10時30分頃、くじら座の近辺を観測中に見かけない光のシミを発見したバーナムは、このことをローウェル天文台に電話で伝えるとともに、ハーバード大学構内の天文電報中央局 (CBAT) 宛に電報を送った。ローウェル天文台はその報告を軽く扱い翌日以降の観測に回してしまったが、CBATに電報を送っていたことが功を奏して、彼に先んじた旧ソ連のLatyshev、スイスのパウル・ヴィルトとともに、長周期彗星C/1957 U1の発見者として名を連ねることとなった。 この発見は地元で大きな話題となり、バーナムは一躍ヒーローとして扱われるようになった。まさにスプートニク・ショックの最中にあったことも追い風となり、アメリカ人の愛国心を大いに刺激することとなった。11月には、後に共和党の大統領候補となるバリー・ゴールドウォーター上院議員の訪問を受け、バリーの叔父モリスが1882年に購入した屈折式望遠鏡をもらった。バーナムは、次に彗星を発見したらゴールドウォーター彗星と名付けることを約束した。バーナムは、この約束からわずか3ヶ月半後の1958年2月22日に2つ目の彗星C/1958 D1を発見したが、彗星には発見者の名前が付けられるため、ゴールドウォーター彗星と名付けられることはなく「バーナム彗星」と呼ばれることとなった。 C/1957 U1の発見がきっかけとなってローウェル天文台のヘンリー・リー・ギクラスからの誘いを受けたバーナムは、1958年2月からアリゾナ州フラッグスタッフにあるローウェル天文台に採用され、ブリンクコンパレータ(英語版)を用いた恒星の固有運動の観測に従事することになった。当初3年以上は掛からないだろうと思われたプロジェクトであったが、バーナムと同僚のノーマン・G・トーマスが優秀な実績を残したことから、20年以上にわたって全米科学財団から資金援助を受けることができた。バーナムは、ローウェル天文台に勤務している間、同僚のトーマスとともに、スローター・バーナム彗星 (56P/Slaughter-Burnham) を含む5つの彗星と小惑星レイラ (3397 Leyla) を発見した。
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