弘和年間の出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 07:38 UTC 版)
※ 南朝関係に限る。 元年(1381年) 6月22日〜23日 - 今川貞世・仲秋らが肥後隈部城(菊池城)・染土城を陥落する。 10月13日 - 宗良親王の私撰和歌集が勅撰に准ぜられる(『新葉和歌集』)。 12月3日 - 宗良親王が『新葉和歌集』20巻を長慶天皇に奏進する。 この冬 - 長慶天皇が『仙源抄』を著す。 2年(1382年) 閏1月24日 - 楠木正儀が南朝方となり、河内平尾で山名氏清と交戦するも敗走する。 8月24日 - 長慶天皇が後征西将軍宮(良成親王か)へ勅書を下して訓諭する。 月日不明(4月とも) - 菊池氏に内訌あり。武朝らが一族の叛く者を肥後守山に討つ。 3年(1383年) 4月14日 - 後征西将軍宮が相良前頼の帰順を許し、その領地を安堵する。 9月2日 - 赤松氏則・氏春が播磨清水山で北軍と交戦して敗死する(一説に元中3年)。 10月27日 - 長慶天皇が利生護国寺に朝用分を寄進する(在位を確認できる下限)。 この冬 - 長慶天皇が譲位し、東宮熙成親王(後亀山天皇)が践祚する。 4年(1384年)
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