引田の戦いのその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 22:41 UTC 版)
秀久は敗戦後淡路に逃げ帰り淡路と小豆島の守りを固め瀬戸内の制海権維持に務めた。一方の元親は天正12年(1584年)6月までに存保の居城である十河城や虎丸城も制圧し、勝ち目のなくなった存保は大坂の秀吉を頼って讃岐を脱出するほかなくなった。
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