山県大弐「抹殺」問題とは? わかりやすく解説

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山県大弐「抹殺」問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 09:52 UTC 版)

山県大弐」の記事における「山県大弐「抹殺」問題」の解説

1935年昭和10年4月から使用開始され第四期国定教科書尋常小学国史 下巻』において山県大弐尊王論に関する記述削除され、これを地元三井甲之同年6月3日付『山梨日日新聞』(以下『山日』)において告発した三井告発端を発し山梨県政治家教育関係者郷土史家などが教科書における大弐記述復活求めて運動起こした三井は『山日』紙上告発において「抹殺」の表現用いて文部省処置批判しており、以後記述復活求め運動新聞報道などにおいて「抹殺」の表現多用された。また、三井1911年明治44年1月から3月にかけて起きた大弐抹殺問題同様に教科書記述を巡る騒動である南北朝正閏問題にも言及しているほか、「国体明徴」の表現用いており、時局影響見られる三井告発受けて県内外では諸団体結成大弐に関する文献刊行論考発表相次いで行われた山梨県教育会1935年昭和10年6月14日教育関係者郷土史家など23名を委員とする改正国史教科書調査委員会設置し文部大臣対す上申書作製文部省対す質問書送付行った同年8月31日には文部省から県知事宛に質問書対す回答送付されたが、教科書本文への記述復活確約されなかったため運動継続した。翌1936年昭和11年6月14日には明倫会及び山県神社中心となり山県大弐顕彰同盟会が組織され名取忠愛会長となった。同会は大弐事績教授することが「国体明徴」に直結するという論理展開し中央向けて運動行ったまた、中央においても、「抹殺問題以前から存在していた在京山梨県人による山県大弐先生遺徳顕彰会が問題受けて運動を開始した。 問題告発行った三井は、『山日』紙上告発文が掲載され1935年昭和10年6月3日文部省図書局編修課長藤岡継平と面会している。藤岡難易度の問題や、尋常小学校では日本史総論教授するため人物中心で、高等小学校では各論教授するため事件中心取り上げ文部省教科書編纂方針説明し三井はこれに対し尋常小学校では学派体系よりも個人思想行動重点置いた教育を行うべきと反論している。 同年7月には郷土史家大弐研究行っていた村松志孝知人東京高等師範学校現在の筑波大学教授橋下重次郎通じて文部省意向打診し文部省図書局芝田徹心藤岡同様の説明行い年表における記述編纂官と相談する旨を回答した。さらに同年7月8日には和田貞臣山梨県学務部長文部省訪問し芝田図書局長に面接し大弐復活について山梨県内情勢述べ復活要求した国定教科書における山県大弐記述復活させることが決定した時期は明らかではないが、1941年昭和16年3月31日発行第五期国定教科書小学国史尋常科下巻』において記述復活した。 なお、大弐とともに記述削除され竹内式部出身地新潟県においても運動発生している。

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