村松志孝とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 村松志孝の意味・解説 

村松志孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 00:09 UTC 版)

村松 志孝 (むらまつ しこう、明治7年(1874年6月14日 - 昭和49年(1974年5月1日)は、山梨県出身の郷土史家。漢詩人。号は蘆洲。


  1. ^ 大正10年(1921年)9月19日に山梨県中巨摩郡竜王村篠原(現・甲斐市)の地に創立が許可され、同月21日には県社に列せられている。
  2. ^ 大正13年(1924年)1月9日、浅川巧とともに中巨摩郡池田村小宮山清三宅に朝鮮陶磁器を見るために尋ねた際に目にしたもの。なお、そのいきさつについては「木喰上人発見の縁起」(柳宗悦著『民藝四十年』岩波文庫に収載)に書かれている。
  3. ^ 峡南郷土研究会は昭和41年(1966年)の発足当時から幅広い活動を続けてきたが、平成23年(2011年)12月4日の総会において会の解散が決定され、会の発足とともに発刊されてきた機関誌『峡南の郷土』も第52号を以て終刊となった。


「村松志孝」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「村松志孝」の関連用語

村松志孝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



村松志孝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの村松志孝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS