小笠原秀政の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 01:19 UTC 版)
天正18年(1590年)に関白豊臣秀吉により小田原征伐が行なわれ、7月に後北条氏が滅び、8月に秀吉の命令で駿河など東海に5カ国を領有していた徳川家康は関東8カ国に国替えとなった。家康は古河を重要視し、亡き嫡男松平信康の娘婿である小笠原秀政を3万石で入部させた。 秀政は荒廃していた古河城を修復・拡張し、隆岩寺を開基した。ただし、古河城を修復・拡張する間は、一旦、栗橋城(現在の茨城県五霞町及び埼玉県久喜市)を居城としていたようで、開基した隆岩寺が古河市内と五霞町内にそれぞれ独立しているのがその証である。慶長6年(1601年)、信濃守護の末裔の秀政を家康は故郷に2万石加増の5万石で戻し、秀政は信濃飯田へ移封された。
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