小笠原秀政とは? わかりやすく解説

小笠原秀政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 05:58 UTC 版)

小笠原 秀政(おがさわら ひでまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将大名信濃守護小笠原氏の末裔。下総古河藩主、信濃飯田藩主を経て、信濃松本藩主となる。小笠原宗家初代。


注釈

  1. ^ 貞慶が秀吉と内通したために、数正も秀吉のもとへ出奔せざるを得なくなったとする柴裕之の説もある[2]。 しかし『三河物語』や『松平記』からは数正が天正12年春の時点ですでに秀吉に篭絡されつつあったのがわかり、やはり数正の出奔が貞慶の徳川氏離反の直接の原因と考えられる。
  2. ^ 毛利勝永隊、毛利隊を追随してきた木村宗明らなど諸説ある。
  3. ^ 大坂夏の陣のときに死去したのは家康で、その後の1年間は秀政が家康の影武者として存命を偽装したという説がある。徳川家康の影武者説#その他の影武者説を参照。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 今井尭 1984, p. 273.
  2. ^ 柴裕之「石川康輝(数正)出奔の政治背景」『戦国史研究』60号、2010年。 /所収:『戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配』岩田書院、2014年。ISBN 978-4-87294-884-4 
  3. ^ 村川浩平「天正・文禄・慶長期、武家叙任と豊臣姓下賜の事例」『駒沢史学』80号、2013年、120頁。 
  4. ^ 成就院古文書』。※慶長寅が1641年と書いてあるが、1614年の誤り。


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