宗門改役
読み方:シュウモンアラタメヤク(shuumon’aratameyaku)
宗門改
宗門改役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 07:52 UTC 版)
寛永17年6月、幕府は宗門改の専任役として、宗門改役を設置する。大目付であった井上政重が、島原の乱後に長崎へ下向し政務を掌った際、初代宗門改役に任命される。寛文2年(1662年)2月には作事奉行の保田宗雪もこの役に任命され、以後は大目付・作事奉行が1名ずつ兼任の役となった。諸藩に対しては先述のように寛文4年に宗門改制度と同じく専任の役人を置くよう命じた。切支丹奉行(キリシタン奉行)・宗門奉行とも呼ばれた。 幕府の宗門改役は、配下に与力6騎、同心30名が配属され、幕府直轄地に対してのキリシタン及び宣教師の捜索を行い、また諸藩に対するキリシタン改帳の作成やその送付、点検も行っていた。棄教したキリシタン(転びキリシタン)の監視も監督し、切支丹類族帳に記載された者が死亡した場合には宗門改役に届け出る必要があった。 井上政重は捕縛したキリシタンを、正保3年(1646年)に自身の下屋敷(現・東京都文京区小日向)に作らせた建物に収容し尋問を行った。これは切支丹屋敷(山屋敷)と呼ばれ、宗門改役が廃止されるまでキリシタンの取調所および住居として使用された。 アメリカ合衆国の歴史家ジョージ・エリソンは井上政重をアドルフ・アイヒマンと比較した。 寛政4年(1792年)に廃止される(宗門改制度は継続)。
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