安信の弟か、晴政の弟か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/30 14:20 UTC 版)
高信は安信の弟、晴政の叔父とする説が定説化している。しかし、南部氏の系図の中で最も古い系図は、寛永18年(1641年)に幕府へ上呈された『寛永諸家系図伝』所収の南部系図である。『寛永諸家系図伝』には信直は晴政の子・晴継と従弟とされており、つまり高信と晴政は兄弟である。その後に作成された南部氏系図は、いずれも高信を晴政の弟としている。この系図を持ってすれば、子である信直・政信ら二人の生年も納得出来る(安信の弟では、当時としては余りの高齢で子供が出来ている為) 時代が下って寛政11年(1799年)に南部氏が幕府へ上呈した『寛政重修諸家譜』所収の南部系図では、高信は晴政の父安信の弟としている。この流れを受けて作られた『南部史要』『祐清私記』『聞老遺事』『南部根元記』などが広く一般に普及したために、安信弟説が流行したと考えられる。(工藤利悦「晴政と高信の続柄記述はなぜ変化したのか」盛岡タイムス2005年7月22日(金))
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