妙見様の御利益
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:37 UTC 版)
「法性寺 (墨田区)」の記事における「妙見様の御利益」の解説
このような盛況に継ぐ盛況の歴史に暗雲が垂れ込めたのが、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災と第二次世界大戦であった。僅か30年の間に発生した存続の危機は歴代住職による命懸けの護持丹精によって切り抜けたが、戦後の復興期に至っても大きな問題が発生する。昭和40年(1965年)から昭和48年(1973年)に掛けて、東京都は下町地区の大震火災時の避難に関する研究を開始し広域避難場所が続々と選定され始めた。これに伴って木造狭小住宅が密集していた墨田区の業平・押上・文花・立花地区にも“広域避難場所の設定に伴う大規模な立ち退きの可能性”が生じたが、これに反対する地域住民が都と対立。一時は硬直状態に陥り深刻な状況にまで発展した。この時、地元の町内会長を務めていた38世・妙道院日意が状況打開の為に英断を下し、本堂・客殿・庫裡等の主要建築物を取り壊した上で鉄筋コンクリート製の諸堂及びマンション(業平ハイツ)を建築。東京都が理想とする不燃性の高い建物を整え、対象の地域住民の為に広く門戸を解放したと言う。この「幽冥に北斗(北辰)の煌くが如く、達見(妙見)を以って人生の指針を示す」という妙見信仰の真精神は、39世・妙玄院日敬に継承され今日に至っている。
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