失った愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 19:06 UTC 版)
「キャサリン・マンスフィールド」の記事における「失った愛」の解説
短い一生の間にマンスフィールドは多くの愛を失っている。1906年に帰郷した際、恋愛関係をもち、その後も音楽家のガーネット・トローウェル (Garnett Trowell) と恋に落ち子供を宿すが、流産してしまう。1909年にはジョージ・ブラウン (George Brown) と結婚したものの、結婚生活は数日間で破局に至った。マンスフィールドはオペラのエキストラとして各地を巡った。1910年、ロンドンに帰ってきた時には性病(梅毒)に感染しており、この病は以後彼女の身体を苛んだ。ジョージ・ブラウンと離婚し同棲していたマリーと結婚したのは1918年。新しい夫が浮気に走った1921年には浮気自体よりも、夫宛のラブレターに噛み付いている。「私が主人と一緒のあいだに、こんな恋文を送るのはやめることね。そんなの、この世ですることじゃありませんから。」 ("I am afraid you must stop writing these love letters to my husband while he and I live together. It is one of the things which is not done in our world." (Princess Bibescoへの手紙より, 1921)。また第一次世界大戦がマンスフィールドから弟を奪ったのは1915年のことだった。ただ一人の弟の死はマンスフィールドに大きな影響を与え、以後の作風にも変化が見られた。弟の死を夢で見たのち、マンスフィールドは次のような奇怪な詩を書いている。 By the remembered stream my brother stands Waiting for me with berries in his hand ... 'There are my body, Sister, take and eat.' 記憶の流れの淵に弟が佇んでいる 自分の手にベリーをのせて、待っている… 「姉さん、これがぼくの体だよ。食べてくれない?」
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