大阪中央競輪場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 16:15 UTC 版)
上述の通り、当地の前身は大阪市営中央競輪場(通称:大阪中央競輪場)である。 現在の長居公園の地に、1948年、大阪府および大阪市などの府下市町村が「大阪府都市競馬組合」を結成し、大阪競馬場(通称:長居競馬場)を開設したが、大阪市は同年12月に開始された大阪府主催の大阪府営競輪場(通称:大阪住之江競輪場)での競輪開催が予想以上の好成績を収めたことで、その影響を受け、1950年3月20日、1周500m、収容人員55000人(内、特別席600人、観客席25000人)の競輪場を、同競馬場の隣に竣工した。また、後楽園競輪場とともに、12車立てのレース(通常は9車立て)も実施した。 主催者は、大阪市、布施市(現在の東大阪市の一部)、吹田市であった。 ちなみに、大阪市は現在の長居公園に1951年11月、大阪競馬場を利用して、市営の長居オートレース場も開設したが、爆音にかかる周辺環境問題や経営不振を理由に、わずか5ヶ月で廃止した(詳細は当該項目を参照)。 回を重ねるごとに好成績を収め、1開催での収益金は5,000万円以上に上るなど売り上げは関西随一を誇るようになった。立地の良さもあり、車券売り上げ額と入場者は西日本一となり、現存していれば後楽園(休場)に匹敵するものとも言われた。そうして大阪で開催される特別競輪は当競輪場で集中して開催されるようになり、全国争覇競輪(現:日本選手権競輪)を3回、オールスター争覇競輪(現:オールスター競輪)を2回開催した。 1955年1月10日に、当時の農林大臣・河野一郎が提案した「競馬開催を土日祝日開催に限る」という提案を受けて、当時の通産大臣・石橋湛山が「競輪・オートレースについても同調する」と表明したのを契機に、近畿地区の競輪場でも、土日に限って開催可能かを協議していたところ、2月22日に当時の大阪府知事・赤間文三が、同年4月1日以降の大阪府営競馬・競輪の廃止を突如表明した。これは、平日開催によって年間1億2千万円の黒字を挙げていた競輪と、若干の赤字を出していた競馬が、土日開催に限られることで売上が半減する可能性があるとの試算に基づいたものとされ、大阪市や周辺都市は軒並み反対したものの、結局同年に豊中競輪場が廃止された。さらに、1959年に赤字続きだった大阪競馬場が廃止され、当競輪場も廃止して跡地を公園として整備したいという市側の意向を受け、1962年3月16日から6日間開催された開設記念『大阪府内競輪500回記念全国選抜オールA級争覇競輪』(主催は布施市)を最後に廃止された。なお、この最後の開催だけで、売上高4億7,000万円、入場者10万1,400名、一日売上高1億1,500万円を記録した。 12年間の競輪収益金は、大阪市22億4,300万円、布施市6億2,000万円、吹田市3億8,000万円であった。
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