大統領1期目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/02 06:17 UTC 版)
「レヴィー・ムワナワサ」の記事における「大統領1期目」の解説
2000年8月、MMDの国家評議会によって2001年大統領選挙の候補者に指名された。翌年の12月27日に行われた大統領選挙では11人による激戦となったが、ゴドフリー・ミヤンダ、クリストン・テンボという元副大統領2人を抑え、わずか29%の得票率ながらも最多得票を得て当選した。次点のアンダーソン・マゾカが27%を得票して迫る接戦だった。 こうして2002年1月2日、ムワナワサは大統領に就任した。しかし、大統領選挙の結果に対してマゾカの国家開発統一党(UPND)などの野党から異議が唱えられ、実際には自分たちが勝利したのだと主張を行った。国内・国外の選挙監視団も、不正投票や選挙人名簿の欠陥、不公平で偏ったメディアの報道など選挙運動と投票に重大な不正があったと指摘した。1月、大統領選挙を戦った3人の対立候補が、ムワナワサの勝利を覆すよう最高裁判所に請願を行った。裁判所は、選挙に欠陥があったことは認めたものの、それが結果に影響するものではないと判断し、訴えを退けた。 2005年1月、ムワナワサはこれまでザンビア政府が貧困に対して取り組まなかったことを国民に対して謝罪した。国連によると、ザンビアの国民の75%が1日1ドル未満で生きていかねばならない状態であった。
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