大王の揶揄に反発する
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 01:50 UTC 版)
「カール・テオフィル・ギシャール」の記事における「大王の揶揄に反発する」の解説
ギシャールは宮廷に参内して大王と親しく交わることを許されていたが、大王からの口難を蒙ることがしばしばあった。次のような話が伝えられている。 大王は戦時におけるプロイセン貴族の忠誠と献身を高く評価し、彼らの身分の純粋性を維持しようとしていた。大王は婚姻によって平民の血と価値観が貴族に影響を与えることを嫌っていた。このため、ギシャールがシュラープレンドルフ少将の令嬢と結婚する許可を大王に求めた時、大王ははじめ渋って許可を出さなかった。大王はギシャールに次のように言った。「そのような家の娘と結婚するのに、父や祖父が陶工であったような者では出自身分が低すぎる」 これに対してギシャールは次のように言い返した。「陛下は私の父や祖父がそうであるのと同じぐらいに陶工であられます。彼らは陶器工房を、陛下は磁器工房(ベルリン王立磁器製陶所のこと)を、それぞれ所有している、それだけの話です」 またあるときギシャールは大王より、ブリュールの城館を略奪した際にどれほど利得したか、との下問を受けた。「昔の話だ。時の流れと講和条約が全てを水に流した。今となってはどんな返還請求も恐れる必要がないし、君がどうして略奪者となったのかは全世界が知っていることだから、恥じることもあるまい。だから、あのときいかほど略奪したのか、我々に教えたまえ。どんな悪漢の手口を使っていくら儲けたか、さあ思い出したまえ」 ギシャールは堪えかねて次のように答えた。「陛下は私がいくら得たのかよく知っておられるはずでございます、私は陛下の命令以外のことはしておりませんから。私は陛下に全てをご報告いたしました。陛下が私に略奪品を分けて下さったのです」そしてギシャールは席を立ち、そのまま宮廷を去った。大王がギシャールとの関係を回復するには時間を要した。 これらのエピソードは、そもそもはニコライの『逸話集』を出所としている。どちらも興味深いが、正確さに欠けており、疑わしいものとされている(ある注釈者は前段のエピソードについて、結婚許可を巡ってひと悶着あったことは確かだろうが、伝えられる逸話、とくにそのやり取りについては大いに疑わしいと記す)。というのもギシャールの父は陶工ではないし、また先に記したように、ギシャールが略奪したのはブリュールの城館ではなくてフベルトゥスブルク城だからである。
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