大煙突と迷彩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:50 UTC 版)
戦争が激しさを増す中で、高いために遠くからでも目立つ大煙突に対する懸念が発生した。空襲や艦砲射撃の目標物となってしまうのではないかとの恐れであった。1942年(昭和17年)12月、日立では特別防空演習が行われ、同時期に水戸の茨城県庁で防空施設打ち合わせ会が開催され、防空対策として偽装や灯火管制などが申し合わされた。このような情勢下、防空上の要請として大煙突に迷彩を施すことが決定された。 大煙突には建設以来久しぶりとなる約50メートルの足場が組まれ、大煙突の下部約3分の1に迷彩を施す工事が行われた。この工事の施工業者は不明であるが、地元日立の塗装業者が手がけたという記録が残っていないため、当時の大手建設会社のいずれかが行ったものと考えられている。迷彩の塗料はコールタールが使用され、黒いゼブラ状の迷彩が施された。結局大煙突は日立空襲の空襲、艦砲射撃時も無事であったが、戦後公開された米軍資料には大煙突に関する記載は一切無く、実際に大煙突が米軍の攻撃目標とされたのかどうかは不明である。
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