大洲城とは? わかりやすく解説

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おおず‐じょう〔おほずジヤウ〕【大洲城】

読み方:おおずじょう

大洲市にある旧大洲藩の城。元弘元年1331)、宇都宮豊房の創築という。慶長年間(1596〜1615)藤堂高虎脇坂安治らが修築元和3年1617以降加藤氏が在城。本丸台所高欄二の丸綿(おわたやぐら)、三の丸隅櫓現存地蔵岳城。比志の城。

大洲城の画像
綿(おわたやぐら

大洲城

名称: 大洲城
ふりがな おおずじょう
名称(棟): 台所
名称(ふりがな): だいどころやぐら
番号 1416
種別1: 近世以前城郭
国宝重文区分 重要文化財
指定年月日 1957.06.18(昭和32.06.18)
員数(数): 1
員数(単位):
代表都道府県 愛媛県
都道府県 愛媛県大洲市大洲
所有者名: 大洲市
指定基準
管理団体名:
管理団体住所
管理団体指定年月日
構造形式 二重二階本瓦葺
時代区分 江戸末期
年代 安政6(1859)
解説文: 大洲城は元和三年加藤貞泰入城し以降加藤氏代々万石居城であった。現在は表記四棟の隅櫓を残すのみであるが、二重二階江戸末期建立または改修思われる
 台所及び髙本丸にあり、天守渡櫓続いていた。綿肱川土手突出して造られ、旧二の丸東南隅にあたる。 三の丸隅櫓は現在加藤家宅地内にあり、加藤家所有になっている。 これらの遺構は勿論大洲城当初のものではないが、 その往時をしのぶ貴重な遺構である。

大洲城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/16 01:08 UTC 版)

大洲城(おおずじょう)は、四国伊予国喜多郡大洲(現・愛媛県大洲市大洲)にあった日本の城。別名としては地蔵ヶ嶽城比志城大津城(大洲の旧称)などがある。




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