大和説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 15:45 UTC 版)
倭京は飛鳥に置かれた宮都を含む、倭国の首都機能を有して大和にあった宮都と考えられ、通常「飛鳥京」のこととされる。しかし、近江宮や難波長柄豊崎宮とは異なり、『日本書紀』では「倭京」のみが一貫して「京」と称されており、このことは決して軽視すべきでないが、倭京の実態がどのようなものであったかについては、以下のように諸論がある。なお、藤原京のあるところも倭京に含まれていたとする見解がある。また、鬼頭清明は、元来、倭京という言葉は都が大津や難波にあったときに限って使用されたものであることから、固有名詞ではなく、大和の外からみて、大和(=倭)に所在する京の意味で用いられたものであることを指摘している。
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