垂仁天皇88年条とは? わかりやすく解説

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垂仁天皇88年条

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 05:01 UTC 版)

アメノヒボコ」の記事における「垂仁天皇88年条」の解説

垂仁天皇88年条の系図 前津耳(前津見/太耳) 天日槍 麻拕能烏 但馬諸助 ○ 清彦 『日本書紀』垂仁天皇88年7月条によると、新羅王子を自称する天日槍持って来た但馬神宝見たい天皇言ったので、使者遣わし天日槍曾孫清彦勅命下して献上させた。その神宝とは次の5物、 羽太の玉 1箇 足高の玉 1箇 鹿鹿の赤石の玉 1箇 日鏡 1面 熊神籬 1具 であった。ただしこれらとは別に出石(いづし)」という名の小刀1口があったが、清彦献上を望まなかったので袍の中に隠して身に帯びていた。しかし天皇清彦遇しようと御所で酒を与えたとき、その小刀が袍の中から出た清彦隠し通すことを断念し、これが神宝1つであることを言上すると、天皇はこれと他の神宝とを一緒にして神府(みくら:奈良県天理市石上神宮の神府か)に納めた。そのしばらくのち、天皇が神府を開くと小刀自然になくなっており、清彦に人を遣わして問いただすと、清彦小刀自然と清彦の家に来たがその日の朝にはなくなったと言った天皇畏れそれ以上小刀求めることをやめたが、一方小刀はのちに自然と淡路島至り発見されたので島人により祠に祀られたとするまた、同条では続けて昔話として、新羅王子の天日槍小舟乗って但馬国停泊しそのまま但馬に留まったと伝える。そして天日槍但馬国前津耳(一云に前津見または太耳)の娘の麻拕能烏(またのお)を娶り、麻拕能烏との間に但馬諸助を儲けたとし、これが清彦祖父であるという。

※この「垂仁天皇88年条」の解説は、「アメノヒボコ」の解説の一部です。
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