在原業平伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 09:13 UTC 版)
平安時代の歌人・在原業平が竜田から十三峠を越えて枚岡神社に参詣した折に「神立茶屋辻」にあった茶屋の「梅野」という娘に恋をして、八百夜も通いつめたといわれ、『業平の高安通い』として伝えられている。また、この言い伝えにより、在原業平が通ったとされる現在の天理市から十三峠を越えて八尾市に至る道筋を業平道ともいう。 玉祖神社には、業平が娘を呼び出すために吹いたという笛が伝えられている。
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在原業平伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 17:12 UTC 版)
平安時代の歌人・在原業平が大和国から高安郡神立村へ八百夜も通いつめたという、『業平の高安通い』として伝えられている。 伝説の概要 在原業平が大和国から十三峠を越えて玉祖神社に参拝したおり、神立茶屋辻にあった福屋という茶店の娘、梅野を見初め、しばしば通うようになった。 ある日、いくら笛を吹いて呼んでも娘が家から出てこないため、不思議に思い東の窓から中を伺うと、手ずからご飯を器に盛って食べている娘の姿が見えた。業平はその姿を見てすっかり興醒めし、持っていた笛を置いて逃げるように帰っていった。娘は悲しみのあまり近くの池に身を投げて死んでしまったという。 この言い伝えにより、神立地区では母屋の東側に窓を作ると縁談が来なくなるといわれていた。また業平が残していったとされる笛が玉祖神社に伝わっている。また、在原業平が通ったとされる現在の天理市から八尾市に至る道筋を『業平道』ともいう。なお、業平道は複数のルートが伝えられている。 この伝説に関しては、『伊勢物語』、『大和物語』、『河内名所図会』、『河内鑑名所記』、さらに「井筒」という題名の能の演目などで伝えられるものの、表現や解釈がかなり異なり、高安は斑鳩町の高安ではないかという説も存在する。
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