土木の妖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 16:56 UTC 版)
大暦年間、長く続いた安史の乱、その後の僕固懐恩の反乱・吐蕃の入寇が終結し大臣・将軍・宦官は豪奢な建築物を競うようになった。禁軍の実力者魚朝恩は自らの荘園に章敬太后(代宗の母の呉氏)の菩提を弔うため章敬寺を建立、その為に長安中の材木がなくなり曲江の館・はては玄宗と楊貴妃ゆかりの華清宮の館まで毀して寺の材木とした。また元載・王縉・杜鴻漸は代宗と共に不空(密教第四祖)の五台山金閣寺造立を後援し、その建物は瓦に銅を鋳て金を塗るような豪華なものだった。元載も長安の南北に豪華な邸宅を造った。当時の人はこのような風潮を「木妖」(土木の妖)と称した。元載失脚後、「土木の妖」を憎んだ代宗によってその邸宅は馬璘(将軍)・劉忠翼(宦官)の邸宅と共に最も豪華なものとして毀された。
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