國民新聞
國民新聞社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:29 UTC 版)
その頃、湯浅治郎の紹介で徳富蘇峰と知り合い、民友社及び『国民新聞』の創刊の手伝いをする。明治22年(1889年)に正式に民友社に入ると、明治23年(1890年)2月1日の国民新聞創刊時より政治評論を担当、執筆した。この年の11月7日、オリバー・クロムウェルの伝記である『格朗穵(クロムウェル)』を刊行して在野史家としてデビューを飾る。翌明治24年(1891年)7月より全3巻の予定で明治維新史を政治・外交・経済・宗教の側面より分析した『新日本史』を刊行を開始、実証的な史料批判の不十分さはあるものの、日本初の本格的な現代史書としてこれまでの編年史・考証史とは一線を画した(ただし、下巻は未完に終わる)。この中で明治維新を内外の危機的状況で国民の活力が発揮された「乱世的革命」と位置づけて王政復古史観や佐幕・勤皇・藩閥論に対して強く批判した。明治26年(1893年)には、民友社「十二文豪」シリーズの1冊としてマコウレーの伝記を担当する。また、山路愛山とも親交を結び、民友社を代表する史論家として知られるようになった。日清戦争以前から「布哇出稼人」への保護の必要を説き、白人の抵抗割合に少なく好都合であるハワイへの移住を提唱するなど、帝国主義的海外膨張論の「熱帯移民論」(南進論)を主張。
※この「國民新聞社」の解説は、「竹越與三郎」の解説の一部です。
「國民新聞社」を含む「竹越與三郎」の記事については、「竹越與三郎」の概要を参照ください。
- 国民新聞社のページへのリンク