国民新聞社とは? わかりやすく解説

國民新聞

(国民新聞社 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 03:44 UTC 版)

國民新聞』(こくみんしんぶん)は、徳富蘇峰1890年明治23年)に創刊した日刊新聞である。現在の『東京新聞』の前身の一つで、『静岡新聞』の源流でもある。


注釈

  1. ^ その後、金鯱軍は翼軍と合併し大洋軍→西鉄軍となり戦時中に解散した。名古屋新聞は新愛知と合併して中部日本新聞が発足、赤嶺は当の名古屋軍理事に就任することになった(赤嶺旋風も参照)。
  2. ^ 全国新聞総合目録データベースによる。1966年(昭和41年)12月、旧國民新聞社の小松道雄(日大名誉顧問)、長谷川了(鶴ヶ丘高校校長)らが「マスコミの左翼偏重、革命勢力の暴走、自民党腐敗などの政治的危機」に「対処するために発刊したもの」とされている。(警備研究会著『極左暴力集団・右翼101問』立花書房/1991年)

出典

  1. ^ 山際(2005), pp42-43
  2. ^ 全国新聞総合目録データベースによる。
  3. ^ 日本国民党の新聞「しんぶん国民」」『日本国民党』。2018年4月29日閲覧。


「國民新聞」の続きの解説一覧

國民新聞社

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竹越與三郎」の記事における「國民新聞社」の解説

その頃湯浅治郎紹介徳富蘇峰知り合い民友社及び『国民新聞』の創刊の手伝いをする。明治22年1889年)に正式に民友社に入ると、明治23年1890年2月1日国民新聞創刊時より政評論担当執筆したこの年11月7日オリバー・クロムウェル伝記である『格朗穵クロムウェル)』を刊行し在野史家としてデビューを飾る。翌明治24年1891年7月より全3巻予定明治維新史を政治・外交経済宗教側面より分析した新日本史』を刊行開始実証的な史料批判不十分さはあるものの、日本初本格的な現代史書としてこれまでの編年史考証史とは一線を画した(ただし、下巻未完に終わる)。この中で明治維新内外の危機状況国民活力発揮された「乱世革命」と位置づけ王政復古史観佐幕勤皇藩閥に対して強く批判した明治26年1893年)には、民友社十二文豪シリーズの1冊としてマコウレーの伝記担当するまた、山路愛山とも親交を結び、民友社代表する史論家として知られるようになった日清戦争以前から「布哇出稼人」への保護の必要を説き白人抵抗割合に少なく好都合であるハワイへの移住提唱するなど、帝国主義的海外膨張論の「熱帯移民論」(南進論)を主張

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