国民交響楽団
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小松平五郎は1927年12月に国民交響楽団を組織した。楽団名は「国民交響管弦楽団」とも称していた。楽団の目的は、交響管弦楽を研究すること、日本人の作品を発表すること、などであった。楽団員は早稲田や慶應の学生が主体であり、1929年時点で80名近い団員が所属していた。 1928年2月19日に第1回演奏会を日本青年館で開催。ハイドン「オクスフォード交響曲」、シューベルト「未完成交響曲」、モーツァルト「劇場支配人序曲」を小松が指揮した。その年には4回の研究発表会と称する演奏会を開催し、大小20数回の演奏を引き受けている。 1929年5月14日にはアルス音楽鑑賞会の後援を受けて第5回演奏会を開催し、ベートーヴェンの「第2交響曲」、プッチーニとヴェルディのアリア2曲(ソプラノは平井美奈子)、シベリウスの「フィンランディア」を小松が指揮した。翌6月30日の第6回演奏会ではメンデルスゾーンの「イタリア交響曲」、ベートーヴェンの「コリオラン序曲」、宮城道雄の箏協奏曲「越天楽」が演奏された。また12月2日に「ベートーヴェン祭」として「エグモント序曲」「第1交響曲」「コリオラン序曲」「第5交響曲」をプログラムした第7回演奏会の案内記事が確認できる。 1930年前半に開催の第8回演奏会では、大木正夫「交響無言詩」、箕作秋吉「組曲 亡き子に」、石川義一の作品が演奏された。10月16日日本青年館において第9回演奏会を開催、ベートーヴェン「第8交響曲」、古関裕而作曲の交響詩「大地の反逆」初演、四家文子独唱によるオペラアリアを小松が指揮している。
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