命名権獲得までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:47 UTC 版)
理化学研究所のチームが、ロシアのドゥブナ合同原子核研究所およびアメリカのローレンス・リバモア国立研究所、オークリッジ国立研究所による合同研究チームと命名権を争うこととなり、その行方が注目されていた。 理化学研究所のチームは2004年(平成16年)7月23日と2005年(平成17年)4月2日の2回の合成をもって2006年(平成18年)と2007年(平成19年)に合同作業部会に申請したが、認定は見送られている。同チームはその後2008年(平成20年)から2009年(平成21年)にかけての実験で、崩壊過程で生じる266Bhの存在をより確実にすることで証拠を補強した。しかし2011年(平成23年)1月に発表された、国際純正・応用化学連合 (IUPAC) と国際純粋・応用物理学連合 (IUPAP) の113から116および118番元素についての合同作業部会の報告書でも、113番元素の認定は見送られている。その一方で米露のグループは114番元素と116番元素の発見を認定されている。これは理化学研究所のような確実な証拠が無くとも充分な状況証拠があれば命名権が得られる前例となり、理化学研究所にとっては逆風となった。 理化学研究所のチームは2012年(平成24年)の合同作業部会にも申請しており、その審議中の8月12日に3個目の生成に成功している。レントゲニウムは重イオン研究所が3個目の生成後に命名権を得ているため、命名権を獲得できる可能性が高まった。この年の申請は5月に締め切られており、追加の証拠という形で受理はされたものの、直ちに認定とはならなかった。さらに何回か生成と崩壊系列を確認すれば命名権がより確実になるものの、必要な設備は動かすのに数百万円から数十億円かかり、容易ではなかった。一方で翌年の2013年(平成25年)には米露のグループも状況証拠のみで命名権を満たす程度の充分なデータを揃えており、もし前年に理化学研究所が3例目の証拠を提出していなければこの時点で米露のグループが命名権を得ていた可能性が高かったと関係者は見ている。 2015年(平成27年)8月のIUPAC評議会では認定および命名権の付与が検討されたものの決定が延期となっており、同年12月30日(日本時間31日早朝)にようやく認定に至った。
※この「命名権獲得までの経緯」の解説は、「ニホニウム」の解説の一部です。
「命名権獲得までの経緯」を含む「ニホニウム」の記事については、「ニホニウム」の概要を参照ください。
- 命名権獲得までの経緯のページへのリンク