名前と改名に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 06:58 UTC 版)
『少年H』の由来ともなっている子供のころのあだ名は、母親がセーターに大きく名前(肇)のイニシャルである「H」と編みこみ、これを見た同級生から「H」と呼ばれたことによる。母親はさらにHの下に「SENOH」と編んだので街中で見知らぬ人に「君は妹尾くんって言うんやね」と話しかけられ「何故僕の名前がわかるんやろ」と本人は不思議に思っていた。 『河童が覗いた仕事場』の立花隆のインタビューで大阪、朝日会館でのグラフィックデザイナー時代、近くのバーで出た菊の花の漬物を見て「他の花も喰えるんじゃないか」と店に生けてあった花を片っ端から食べたところ、しばらくすると急に腹が痛くなり七転八倒店の中を転げまわった。それを見ていた『航空朝日』編集長斉藤寅朗が「おまえは河童みたいな奴だな」と言ったことが始まりと述べ、『河童の手のうち幕の内』ではあだ名が異常に浸透してしまい、藤原歌劇団の舞台美術を手がけた際も本名を思い出してもらえず、プログラムに「妹尾河童」と書かれてしまったと事の経緯を書いている。勤務先のフジテレビで来客が受付に「妹尾肇を呼んで欲しい」と伝えても「当社にはそのような人物はおりません」といって業務に差し障りが生じたり、また「妹尾肇」宛の郵便物が近所に住む「松尾肇」という人物に届いたりと度々仕事のみならず生活においても支障が生じた。さらに文化庁の事業により海外に派遣されることになったが海外において舞台美術の名義がすべて「妹尾河童」で紹介されており、文化庁交付書類上の「妹尾肇」という人物と同一人物であることをいちいち説明するのは大変ということで「妹尾河童」という名前でのパスポート取得のために改名を決意する。しかし家庭裁判所は「本来改名というのは珍奇な名前で苦しんでいる人を救済するためにあり、あなたのような普通の名前から珍妙な名前は前例がなく、到底認められない」と一度門前払い。食い下がる妹尾に対し「では上申書を提出しなさい」とうながし提出させる。上申書を受け取った裁判官は読みながら時々うなづいたり笑ったりし「よく書けていました」といい改名を認めた。普通の上申書の書き方と異なっていたようである。上申書の全文及び改名騒動の顛末は『河童の手のうち幕の内』河童の由来は『河童が覗いた仕事場』で読める。
※この「名前と改名に関して」の解説は、「妹尾河童」の解説の一部です。
「名前と改名に関して」を含む「妹尾河童」の記事については、「妹尾河童」の概要を参照ください。
- 名前と改名に関してのページへのリンク