名前と意味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 07:21 UTC 版)
この用語のルーマニア語での呼称は「România Mare」である。この名称は第一次世界大戦以降、ルーマニア王国の領土が、ルーマニア人が多数派を占める全ての領域を包含するようになったことを表し、かつてトランシルヴァニアやベッサラビア、ブコビナがルーマニアの領土に含まれていなかったことと対比される。これと同様の用語で「România Întregită」というものもあり、概ね「再統合されたルーマニア」という意味である。大ルーマニアはルーマニアの本来あるべき領土と見なされ、Tom Gallagherによると「ルーマニア民族主義の聖杯」とされた。 ウィーン裁定と独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)によってルーマニアの領土であったトランシルヴァニア北部がハンガリー領となり、ベッサラビアおよび北ブコヴィナがソビエト連邦に占領された1940年以降、この用語は失地回復や民族統一主義の色彩を帯びるようになっていった。 現在、この用語はもっぱら民族主義的な意味合いで使用されるようになった。政治の世界の用語として、特に大ルーマニア党を意識してこの用語が持ち出される時、それは民族統一主義としての大ルーマニア主義を意味し、おおよその場合、第二次世界大戦によってソビエト連邦に奪われ、その後モルドバおよびウクライナ領となっているベッサラビアおよびブコビナ地方への関心を示すものである。 ミハイ勇敢公(英語版)の統治下でのルーマニアの3つの公国と統一された領域 1855年に急進的政治家チェーザル・ボリアック(英語版)によって描かれた仮想的なルーマニアの領域 1918年の領土獲得以前のルーマニア人の居住していた領域 1926年以前の領土と歴史的な大ルーマニアの地域区分
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