各国の国民政党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/27 08:03 UTC 版)
西欧は日本と異なり、左派第1党が冷戦初期に階級政党としての性格を過去のものとしており、社会民主主義政党として中産階級を含む国民政党としての性格を明瞭にしていたことで政権交代を起こす二大政党となっていた。なかでもドイツ社会民主党が1959年には階級的国民政党から国民政党へ、反対主義から改革・介入主義を指向したゴーデスベルク綱領によって国民政党への転換を果たした例が有名である。ほかにイギリスの労働党などもフェビアン協会などの社会改良主義の影響により、早くからマルクス・レーニン主義・社会主義を放棄して国民政党を指向した社会民主主義政党の例である。日本でも社会党から分かれた民社党は当初から階級政党の考えを批判し、国民政党を標榜していた。これらのケースは前述の「一定の階級的利害を代表しながらも、国民的同質性を前提」とする政党、という意味で国民政党だと考えられる。江田五月議員は西ドイツを訪問した際に左派第1党のドイツ社民党の党内大会でヴィリー・ブラントがNATOからの離脱・米軍の西独撤退、中立外交への転換を要求する党内青年部や党内左派の主張への反論に感銘を受けて、社会民主主義否定・マルクス・レーニン主義の社会党・日本の革新陣営のあり方に疑問を抱いている。スウェーデンではスウェーデン社民党が国民政党を志向したため、第二次大戦後の冷戦期には労働組合に近い人物が党首になることは一度もなかった。
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