台湾総督府統治時代の台湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:58 UTC 版)
「乙未戦争」の記事における「台湾総督府統治時代の台湾」の解説
戦争終結時における靖国神社の合祀基準には戦病死者が含まれていなかったが、1899年戦病死者を合祀するための特旨が出され、追加合祀された。日本軍の病死の扱いを大きく変えるきっかけにもなった。 皇族としては初めての外地における殉職者となった能久親王であるが、親王を主祭神とする神社が台湾各地に数多く創建された。台北に台湾神社(台湾神宮)、終焉の地には台南神社が創建された。これら能久親王を祀った60の神社は、台湾の主権を取り戻した中華民国政府によって、すべて破却された。なお台湾総督府が開庁した6月17日は「台湾始政記念日」とされ、台湾で重要な祝祭日とされていた。
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