古地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 14:32 UTC 版)
和名類聚抄に8郷が記されているほか、平城京跡出土木簡から川合郷が知られている。比定は日本歴史地名大系による。 壬生(みふ) 旧星ヶ畑村(現鴨川市)美宇を遺名地とする意見がある。壬生部との関連が想定されている。 日置 旧二子村(現鴨川市)比岐を遺名地とし、曾呂川中流から下流にかけてに比定されている。日置部との関連が想定されている。 置津(おきつ) 勝浦市興津を遺名地とし、鴨川市小湊から勝浦市鵜原にかけてに比定されている。 田原(たはら) かつて田原庄と称したという伝承から、加茂川中流域に比定されている。 酒井(さかい) 鴨川市北風原に「酔酒の井」の伝承があり、加茂川上流から中流にかけてに比定されている。 伴部(ともへ) 旧和泉村(現鴨川市)富部台を遺名地とし、待崎川中流・下流左岸に比定されている。もとは大伴郷であったのを、のちに淳和天皇の諱を避けて伴部と改めたものと考えられている。 賀茂 加茂川下流に比定されている。 丈部(はせつかひ) 旧大幡村(現鴨川市)作壁(作掛)を遺名地とし加茂川最上流域に比定する意見がある。丈部との関連が想定されている。 川合 和名類聚抄に記載がない。詳細は不明だが、加茂川と金山川の合流点近辺に比定する意見がある。
※この「古地名」の解説は、「長狭郡」の解説の一部です。
「古地名」を含む「長狭郡」の記事については、「長狭郡」の概要を参照ください。
古地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 23:55 UTC 版)
和名類聚抄に5郷および余戸郷が記されているが、いずれも訓がない。比定は日本歴史地名大系による。 雨霑 未詳。天羽郡に同名郷があり混同された可能性もある。 蘆道 イホチと読み、伊保田村(現大多喜町)あるいは中魚落村(現いすみ市)を遺称地とする説がある。 荒田 新田野村(現いすみ市)を遺称地とする意見がある。 長狭 長志村(現いすみ市)を遺称地とし、布施村(現いすみ市・御宿町)にかけてに比定されている。 白羽 未詳。 余戸 未詳。
※この「古地名」の解説は、「夷隅郡」の解説の一部です。
「古地名」を含む「夷隅郡」の記事については、「夷隅郡」の概要を参照ください。
古地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:57 UTC 版)
和名類聚抄に6郷および郡家郷と余戸郷が記されている。比定は日本歴史地名大系による。 麻羽(あさは) 坂戸市浅羽を遺名地とし、その一帯に比定されている。 大家(おほやけ) 不詳。坂戸市森戸にかつてあった大在家村を遺名地とする説(風土記稿)があり、それによって明治期に大家村と命名されている。ほかにふじみ野市から富士見市にかけてに比定する説、越生町大谷との関連を見る説がある。 郡家 郡衙所在地と考えられるが不詳。川越市久下戸を遺名地とする説、狭山市入間川(かつては単に入間村と呼んでいたとされる)を郡衙所在地と推定する説(風土記稿)がある。 高階(たかしな) 不詳。越生町・毛呂山町の一帯に比定する説、所沢市山口に比定する説、川越市高島を遺称地とする説がある。なお高階村(現・川越市)は高階郷の地とする伝承により明治期に命名されたもの。 安刀 不詳。所沢市北野・久米の一帯に比定する説、川越市上戸・霞ヶ関の一帯に比定する説、坂戸市粟生田・上吉田・赤尾の一帯に比定する説がある。東秩父村安戸を遺名地とする説もあるが、比企郡を挟んで距離があり難がある。 山田(やまた) 川越市山田から大仙波にかけての一帯に比定されている。川越市山田は直接的な遺名地ではなく、中世の山田荘にちなんだ明治期の命名である。 廣瀬(ひろせ) 狭山市上広瀬および下広瀬を遺名地とし、狭山市から飯能市にかけてに比定されている。近世には高麗郡に位置している。 余戸 不詳。坂戸市横沼・小沼・赤尾の一帯に比定する説、狭山市の一部とする説がある。
※この「古地名」の解説は、「入間郡」の解説の一部です。
「古地名」を含む「入間郡」の記事については、「入間郡」の概要を参照ください。
古地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 04:41 UTC 版)
和名類聚抄に4-5郷および郡家郷・余戸郷が記されている。比定は日本歴史地名大系による。 堀津・発度(ほりつ・ほつと) 不詳。さいたま市風渡野(ふつとの)を遺名地とみる説、さいたま市西堀との関係をみる説、鴻巣市登戸とみる説がある。写本によっては堀津と発度を別の郷としている場合がある。 殖田(うえた) さいたま市植田谷本を遺名地とし、その一帯に比定されている。 稲直(いなほ) 桶川市・上尾市・伊奈町の一帯とされている。 郡家 郡衙所在地と考えられ、さいたま市大宮区の一帯と考える説がある。 大里 不詳。さいたま市、蕨市、伊奈町などに比定する各説がある。 余戸 不詳。鴻巣市、足立区などに比定する各説がある。
※この「古地名」の解説は、「足立郡」の解説の一部です。
「古地名」を含む「足立郡」の記事については、「足立郡」の概要を参照ください。
古地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 08:10 UTC 版)
八軒屋 (大阪市) - 大阪市 天神橋と天満橋の間にかつてあった地域。八軒屋浜 - 上記にあった船着場。 八軒家船着場 - 上記にちなんで造成された観光向け船着場。 八軒屋村 - 広島県(備後国)安那郡にあった村。 このページは地名の曖昧さ回避のためのページです。一つの地名が2か所以上の場所に用いられている場合の水先案内のために、同じ地名を持つ場所を一覧にしてあります。お探しの場所に一番近い記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。
※この「古地名」の解説は、「八軒屋」の解説の一部です。
「古地名」を含む「八軒屋」の記事については、「八軒屋」の概要を参照ください。
- 古地名のページへのリンク