反穀物法同盟とは? わかりやすく解説

反穀物法同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/30 09:08 UTC 版)

反穀物法同盟(はんこくもつほうどうめい、Anti-Corn Law League反穀物法連盟[注釈 1]とも)は穀物法の撤廃を目指し1839年イギリスマンチェスターで結成された団体1846年ピール政権下で穀物法が廃止されると同時に解散するが、数十万ポンドにのぼる豊富な資金力を用いて法撤廃への世論を醸成したことから、「イギリス史上最大の圧力団体[1]と目される。なお、本項では前身の反穀物法協会Anti-Corn Law Association)も併せて取り上げる。


注釈

  1. ^ A・ディグビー、C・ファインスティーン『社会史と経済史 - 英国史の軌跡と新方位』松村高夫、長谷川淳一、髙井哲彦、上田美枝子訳、北海道大学出版会、2007年などではこの語が使われている。
  2. ^ ただし、地主階級にしてみても単に農業階級であったのみならず、炭坑や鉱山、鉄道や交通など産業革命で勃興した工業関係の利害を少なからず有し商工業の発展に無関心でいられなかったほか、農地の排水工事や化学肥料の大量投与を通じてして生産力の向上を図る高度集約農業(ハイ・ファーミング)を採り入れていたことなどから、必ずしも法撤廃反対で一致していたわけでは無かったことに注意。

出典

  1. ^ 松村赳、富田虎男編『英米史辞典』研究社、2000年、26頁
  2. ^ 村岡健次、木畑洋一編『世界歴史大系 イギリス史3 - 近現代』山川出版社、1991年、93頁


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反穀物法同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 16:10 UTC 版)

リチャード・コブデン」の記事における「反穀物法同盟」の解説

1838年9月24日マンチェスターのヨーク・ホテルで「マンチェスター反穀物法同盟」が創設された。創設者7人の中にコブデンの名はなかったが、翌10月には彼も協会委員会入っている。12月13日総会での演説雄弁であったことで人々から注目されるようになった。 同運動産業資本家中核として爆発的に広がり1839年にはマンチェスター限らず全国運動となった。やがてコブデンジョン・ブライトとともに組織中心人物となったコブデン反穀物法協会至るところに代表を送り穀物法撤廃して穀物自由貿易にすれば製造業者労働者大きな利益があることを訴え続けた穀物法撤廃されれば食料安くなり、ひいては人件費安くなり、ひいては製品原価安くなり、ひいては輸出価格安くなり、世界市場拡大するという主張である。

※この「反穀物法同盟」の解説は、「リチャード・コブデン」の解説の一部です。
「反穀物法同盟」を含む「リチャード・コブデン」の記事については、「リチャード・コブデン」の概要を参照ください。

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