南極海の段階
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:06 UTC 版)
船がアデア岬を過ぎた時、漂流の方向が北西向きに変わった。8月10日、ステンハウスは岬の北東45海里 (83 km) にいると推計し、1日の漂流距離は平均して20海里 (37 km) を越えた程度とみなした。その数日後、ステンハウスは船が「後退と充填をしている」と記録した。すなわち進むことなく後退と前進を繰り返しているということだった。「しかし、文句は言えない、忍耐するしかない」とステンハウスは記し、見張り台からははっきりと開けた海が見られると付け加えていた。叢氷の端部が近いという見込みがあり、応急舵の工作が始まった。これには破壊された舵の除去から始める必要があり、技師のドネリーが大部分を担当した。応急舵はありあわせの材料で作られ、8月26日には、氷から脱出でき次第使えるようになっていた。それは船尾から降ろされて、人力で「巨大なオールのように」動かされることになっていた。 8月25日、フックはときたまマッコーリー島やニュージーランドとの間でラジオ信号を交換し始めていた。8月末までに氷の割れた先端が現れるようになり、時には船の下で氷の膨らみを見分けることができた。しかし、9月に入って厳しい気象条件が戻り、ハリケーンのような風が無線通信用アンテナを破壊し、一時的にフックの作業は止まった。9月22日、オーロラ号は無人のバレニー諸島が視界に入るようになり、ステンハウスはエバンス岬から700海里 (1,300 km) 以上動いてきたと推算し、「素晴らしい漂流」と言った。自然と氷の方向について定期的な観測と記録が維持されており「(漂流も)無駄ではない。叢氷の固まりと漂流の知識が人類の知識の集まりに貴重な追加となる」と言っていた。 翌月、オーロラ号の状況はほとんど変わらなかった。ステンハウスは士気を保ち、乗組員をいつでも働けるようにし、氷の上でのフットボールやクリケットなどレジャー活動を組織するなど懸命に働いていた。11月21日、オーロラ号は南極圏の線を通過し、船の周りの氷がやっと融けはじめていることが明らかになった。ステンハウスは「強い吹雪でも来れば氷全体の崩壊につながる」と記していた。クリスマスが近づいてもまだ氷が固かった。ステンハウスは乗組員に祭の用意を認めたが、その日誌には「神が吹き飛ばされた祭は終わったことにしてくれるのを願う。我々は最良の状態にあるが、エバンス岬の憐れな乞食たちはほとんどあるいは何ももっていない!」と記していた。数日後の新年は、即興のバンドで『Rule, Britannia』とイギリス国歌を歌って祝った。
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